更新もなく、たまに覗いてくださっている方には申し訳ないとしか言えません。申し訳ありません。ごめんなさい。


また、震災が起こってしまいました。

東北の際には私は物資を持って、たった2回程度行ったのですが、今回は些細な物資を持って行くこともできません。

私は、世間実情的にはまるで歴史の教科書に載っている出来事であるかのような、過去の出来事とされている阪神・淡路大震災で人生が変わりました。

良い意味に変わったのなら語り部になる資格もありますが。

悪い意味に変わってしまい、いまだ引きずっております。人生ただただ落ちるのみ、今は派遣老人肉体労働+内職で、外食にすら久しく行けない状況、牛丼も滅多に見られない、人生の終わりが現実的に見えてきたという状況です。こんな人間がいるんですよー。

そんな人間の言葉など、誰も聞かないし、聞く価値もないです。
私がこのページであれこれ語るのを一切辞めてしまった理由です。

しかし。

大口が1日復活。

ここから昔のわしに戻りますよ。




私が唯一他人に自慢できることと言えば、過去、全然金にならない仕事で、たくさんの人を助けてきたということです。
目立つ人を助ければ、「いい人」になれる。
だから、目立つ人ばっかり、助かってる。
若い女性、若い男、きれいな人、かっこいい人。

目立たない人の困窮は、気付いてもらえない限り、10年、20年、普通に続くんです。
そういう人ばかり助けてきました。
それが自分の分相応です。

人を助けていないで自分を助けろ、そばの人間を助けろと、何度言われたかわからないし、近かった人もみんな離れていった。

そういう人間の、一つの意見として、震災に遭った方に聞いていただければ嬉しいのですが。





テレビなんか見てると、可哀想の合唱ですわ。
まあー。
あほくさい。
震災そのもの、被災者そのもののニュースはほとんどなく、見た目に目新しさだけを求める、間接的などうでもいいニュースばかりである。
ネットを見れば誰でもわかるだろう。

私は阪神淡路震災で、被災地に、その場にその後十年留まった。
「俺って、可哀想な人なのだ」
過熱報道のせいで、そう思ってしまう時間もあった。

不運な目に遭ったことは確かである。
神戸しかり、東北しかり、今の熊本しかり。

でも、可哀想って、そんなこと、決め付けるな。

可哀想可哀想、それだけしか頭にないから、熊本から遠く離れたところでも、早速パニックが起こってる場所があるのだ。

こんなに大きな災害があったのに、なんでこう、意見とか世論が一致しないんだろうな。
アホとちゃうのか。
この国の大衆は。

今日、バイト先でいくつか年上のじじいを怒鳴ってやったんですけどね。
ケンカにもならんかったです。大阪に数多く生息している典型クソじじいは、口だけ立派で、恐れおののくギャラリーに慣れてはいても、殴るぞというオーラを出して自分に向かってくる人間には、まったく慣れてないから。

怒鳴りおっさんではないですよ、私は。

いつクビになるかわからない屋外アルバイト先は、人生終わった人間の酒場のようなもんで。私含め、「普通の人」はいないと思う。

「俺の人生も激震続きや。田舎の金持ちが地震に遭ってもどうってことないやろ。騒ぎすぎや、テレビは。人生は平等なんや」

名もなき1じじいがそんなことを抜かしやがった。

「おいこらじじい」

(そのあと省略)

とりあえず、こんな馬鹿がもし若い人の前で話すことがあるとしたら、その1日前に絶対死んでほしい。

というか、こんな年長者が存在しているのがもう悲しくて、信じられない。




今回のことでいっちばん頭に来たのは。



数百万現金振込済み用紙の写真を出す芸能人と、ちゃいますよ。
数百万も、大したもんですわ。ほんと。どういう人が送っても、お金はお金。

空き巣、腹立つが、そういう話はどこでやっても、暗くなるだけ。

震災はある党にとってはチャンスだという、馬鹿政治家の発言でもない。金持ち星に住む人は宇宙共通の言語を知らないだけ。

被災した芸能人のブログに「被害に遭ってるのはおまえだけじゃない」系の気違い文章を書き込む奴らの平和さにも、腹立つけど。こんなときだから、ブログ止めんと、バカは相手にしないでほしいけどなあ。言語も、常識も何もかも違う人間たちなんやから。



つまり、
これですわ。
ボランティアはまだ来るな、関係の。
何やねんばかたれ。

いや、熊本県社会福祉協議会に不満があるわけじゃなくて。
何も発表しなければ、日本中の暇人がまた、押し寄せるから、あんなことを発表しなければならないのだ。

ばかたれは、思考しない親切押し売り人間のこと。

熊本県社会福祉協議会は、熊本県の社会福祉を総合的に協議する機関であって。
県外から来るばかたれのために時間を割かれていらっしゃるということが、腹立たしいのだ。

私はそういう奴ら、東北でたくさん、たーくさん見ましたからね。
私は東北でボランティアに行ったわけじゃない。
知った人の生死がわからない状態で、だから現地へ行くしかなかった(結局、いまだ行方不明のままですが)。

ただ行くだけというのはアホなので、たまたま知り合いが軽四のボックス車を安く売ってくれて、そこに物資を積んでいった。車も、とある避難所に進呈してきた。

いくつもの避難所で、窓口役をボランティアがやってるのはまだいいとしよう。

「人探しですか、ご親戚ですか、友人ですか」といきなり訊いてくるのもいいとしよう。

違う、と答えたときのその態度は何だ。
ボランティアですか? 名札ありませんね? 登録していらっしゃらない? 真っ先に登録を済ませてからです!

そりゃ、わしも全身黒づくめ(だったかな)、ニット帽という怪しい格好をしていたので、火事場泥棒とも思われたかもしれん。

しかし、目的地に着く前に、自分の車に積んだ物資(安いものがたくさん)を配っていこうかなとか考えてたので、通りがかった避難所に何が足りないのかな、程度は偵察した。トイレを借りるついでもあった。もちろん借りられそうなところでしか借りていない。
トイレすら大変というところだったら、堂々と大すらオンザフィールドだ。
道中の避難所なので、探す人はいない。
だから、いきなり訊かれたら、正直に答えるしかない。

それでいきなり偉そうに、名札がないだの登録してこいだの。ばかたれ。
それは、その場所で手伝わせてくれ、と申し出てきた人間に対する態度だろう。

ここにはいろいろな人が来る、町には色々な人が歩いている、というものすごく基本的なことすらわかってやがらん。若い人間に怒鳴る太い根性は私にはないが、おっさんおばはん、特に全然東北言葉で話さず、関東弁で畳みかけてくる中年には、(このあと省略)。

ちなみに、小さな避難所ではそういう目に遭ったことはなく、今から考えたら大阪から宮城まで軽四ボックスで向かうのもどうかしていたとは思うが、福島臨海部全域に交通規制がかかる直前だったから、震災後ひと月目くらいだったと思う。
道路は当然めちゃくちゃで、宮城に行くまで合計4回車がパンクというか、タイヤが破損、破裂、爆裂したが、四回とも、近所の小さな避難所の方、道路沿いの家の方々に助けられた。中古タイヤを4本、無料でくださったところがあった。
あれは茨城を抜けていわき周辺、相馬の手前の、小さな自動車修理工場だった。


しっかし。
どいつもこいつも、東北のことで、何も学んでいないままなのか。

街々の応急処置に値する技術を持たない人間は、災害後ひと月は、後方支援を支えて当然。
親戚、友人がいない限り、つまり自分という個人が被災した人の励みとならない限り、今、現地になど行ってはいけない。

目立つこと、したいのか?
だったらスッポンポンで募金活動でもやれ。

一つの村が洪水の被害を受けたという、そういう災害なら即現地もいい。
しかし災害にも色々あって、特に今回のような大きな災害は素人の出る幕はない、ということがわからないのかと思う。

復興の、ふの字が少し見えるという時期になって、街を片付けるために、体力を現地に分け与えるために出かけるのが、素人のできることである。


また、被災者に一番近い団体に募金するのも素晴らしいことだろう。

その募金だが。

不祥事があれば日本のネット業界全体が揺れるとか、日本人の三分の一がネットとかケータイを使えなくなってしまうとか、そんな団体(会社)に金を預けるのが確実。
ボランティアやら社会奉仕活動で有名なところは駄目という可能性もある。
それはもう、神戸で日本全国の皆さんが、義援金を無駄にしましたから。

ちょっと詳しく言わせてもらう。

募金とは、金を被災者に届けること以前に、仲介者に金を預けることである。
缶ジュース代程度ならまだしも、数千円以上のお金を送る方はそこまで考えてほしい。

神戸の場合は、義援金が被災者の手に渡ったのは最初の一年程度で、以降、市が勝手に全国からの100億円近い募金を集めてプールした。
それだけでも天罰百万回だが、なんとなんと、神戸市および周辺公的団体は、その金で、三ノ宮、今オイオイという名前の全日本規模、服のデパートになってる、繁華街の中心の中心に、数年間震災記念館を建て、土地の所有者と東京・大阪のゼネコン、銀行がそのお金を合法的に得た。
ゼネコンとの間に絡んでいたのが銀行で、出ました、銀行怒らせたらテレビ番組スポンサーみんな降りる、結局ニュースにもならなかった。今では神戸市周辺経済界の触れてはいけないタブーとなっている。
震災記念館というものを遺し、未来永劫運営していくのなら百歩譲って許せるが、100億近い金を、市とゼネコン・不動産業者は賃貸契約で消化した。計画通り、超一等地の賃貸金が底を尽くと同時に、震災記念館は取り壊された。ひっそりと。もちろん、取り壊す金も義援金からである。

東北の場合は、胡散臭い社会福祉法人が多額の義援金を詐欺した。
逮捕されたのはそのうちわずかである。
私も当時、東京で、笑うほどたくさんの人間が募金活動しているのをこの目で見た。個人が集める募金なら警察その他も目を光らせているが、社会福祉法人であれば一切募金活動に制限はない。募金を集めるだけ集めて、消滅してしまう社会福祉法人がたくさんあった。

そこは本当、考えてほしい。

銀行で、たとえば百円預けたとする。もしその百円分がその日の収支と合わなければ、窓口銀行員は定時に帰ることができない。そのくらい、普通は金の管理は厳重である。
比べて、募金の管理のあまりの杜撰さ。
昼飯代だと称し、集めた金の中から数千円を誰かが抜いても、誰も見ていない、またはその場の人間が了承しているのなら、そういうことになる。

募金箱に金が入れられた瞬間、その金をカウントし、終業時間に帳尻を点検するなどということは法律でも一切定められていないし、大体、いくら入れたのかも、募金箱を抱える人間にもわからないようになっている。

街頭募金をする人たちを疑い、非難しているのではない。

数千万円のうち、数万円がそういう使い方をされても仕方ないなという考えもあるし。
私はそういうことをしていた人間たちを知っている。募金の明細をネットできちんと報告している団体だが。数日間無償で街中で立ってるんですから、飯代くらい頂戴しても当然、まー、私が募金活動してたら、そうしてたかもしれん。わはは。
 
数万円募金が集まって、メシ代が抜けるのなら、数千万円集まれば、車の1台や2台、闇で買える。
そこが嫌で、怖いと思うまでである。

数千万円が数千万円そのまま、一円も引かれることなく被災した人たちに届くシステムが、私は好きだと言っているだけである。

ここで書く手を止めて、今、ネットを見た。
芸能人は助けましたアピールに熱心で、なにやら童話らしき言葉を語って自分アピールをしているバカまでいる。被災地お助け運動で、自分の睡眠時間が少ないことをわざわざアピールしている大バカまで登場している。

おい、頭、大丈夫か?
読んで賛同してる人間含めて。

被災地の皆さんが、何が原因で寝られないことをわかっとんのか。
この大バカの豪邸マンションを、みんなで取り囲んで一晩中揺らしてやれ。

被災者の現状をしっかり理解している人は、自分アピールなどやらず、黙って現在もたくさんの人を手助けしているのだ。
実際に特権を使って、物資をすでにトラックで送り込んでいる人たちもいるわけだろう。
自分が行くことで被災した人が元気になる、という人たちは、万難を排して現地入りしている。

自分の役目がわかっていない有名人はクソである。
今後一切名前も見たくない。
自分アピールのバカども、御輿を担ぐ奴ら、はよ消えさらせ。

 

というか、芸能人、目立たず活動している人除けて、本当にどうでもいい。

話の要、被災している方々だ。


東北の方々は、都会の人間(=神戸の人間)とは違い、近所の人たちとも絆ができていて、だから長い間の避難所生活、今なお続く仮設住宅での生活を円満にやっていらっしゃる。
とか。

これが、円満じゃなかったのだ。何も。
今回だってきっとそうだろう。
都会の人間に比べ、トラブルを表面化させず、お互い気を配りながら、円満こそ第一の美徳と、大きなストレスをも封じ込めて生きてらっしゃるのだ。我慢のゲージが都会の人間よりも太く、長いと言うだけである。心に受ける傷、ストレスは田舎の人も、都会の人も同じである。
今回含めて三回の大震災を経験もしとらんのに、知ったようなこと抜かすなというのだ。

今回のテレビ報道で、私が泣いた場面が一つだけあった(泣くつもりなんかないのになあ)。
ご存じの方も多いと思うが、おじいちゃんである。

じいちゃんとばあちゃんが、崩れかけてる家に戻って、テレビレポーターの兄ちゃんが声をかける。避難所に行ってくれと。じいちゃんは笑顔で「もうじいさんばあさんだから」と言い、家から動かない。ばあちゃんは、じいちゃんがここにいるんだから私もここにいないと仕方がない、と笑顔。テレビレポーターがブレーカーをいじれば、それまでずっと消えていた電気がよみがえった。じいちゃんが「あんたは福の神」と、笑顔。

数時間後、二度目に来た本震で、家はぺしゃんこ。ばあちゃんは助かったが、じいちゃんは亡くなった。

誰も悪くない。
しかし、あのじいちゃんのおうちのケースも、震災の実際の1つである。

私の30年来の友人が、今被災している。
運良く、家が多数崩壊したという地域ではなく、オンボロの市役所の何階かがぐしゃっと壊れたところ。
本人はあれこれ忙しそうにしてるけど、歳を召した親は2人とも、多少は慌てている様子ながら、至って普通にしてるそうだ。

年寄りって。
神戸のときもそうだった。
合計1週間程度しかいなかったが、東北でもそんな感じだった。
老人の気持ちの強さというか、日常行動の根付き度というか、それは、老人未満の年齢の人間には決して持てない感覚である。

こんなときにそんなこと、せんでもいいやないか。
こんな場所で、何をゆっくりくつろいでるんです。

周囲の人間は心配して、そう言うが、本人たちにしてみればバタバタすな、見苦しい、てなもんだろう。
(老人未満の)若い人間はシェルターを求め、そこで安心したいと考える。
老人は日常の行動をとり続けることによって、安心を持とうと考える。
映画で言えば、慌てる奴が必ず死ぬ。
でも、現実は違う。

だからあの、家に戻って、レポーターをおだてていたおじいちゃんが亡くなったことが、本当に悲しすぎる。
 






ここで今書いてることなど、私は現代人の命綱スマートホンすら持っていないから、誰が読むんだろうと思う。読んでくれた人ありがとう。

ごく少数読まれている方々の中で、もし、仮に被災者の方がいらっしゃったら、おまえもまた何の被害もない場所で勝手にしゃべってるだけだろうと言われることでしょう。

一番お伝えしたいことは、子供も大人もみんな、年長者を助けながら、年長者に気持ちを分けてもらってください。ということです。
体調悪いから、彼氏彼女にふられたから、好きなタレントが結婚したから、
そんなことでは万に一回も、自分の仕事を休まなかった人たちが、熊本にもたくさんたくさんいる。圧倒的に、たくさんいる。
人間には自然治癒力がある。その回復力を持つのは、住民一人一人。
土地にも、自然回復力がある。それを助けるのももちろん、住民である。

そいで、自然治癒力を先導するのが、お年寄りである。
介護介護で、守られるべき、という印象だけが大きすぎる年寄りだが。
実は違う。
お年寄りこそ、目に見えない力を持っている。
若い人間の数十倍。

私らのできることは、自然回復力の源となるエネルギーを金銭、物資という形でほんの少しだけ助けることである。



あなたたちは決して
可哀想な被災者ではない。
この先目立つことがなくても。
日本のヒーロー、ヒロインだ。
5歳でも、88歳でも。

 


ずっと応援しております。
私自身生活が苦しくてどうしようもないが、飲みに行く金、遊びに行く金ができたその日には、何回か我慢して、見知らぬ人に数分程度感謝されるつまらないものを届けたいと思う。
目に見えるものとしてはまったくつまらんものしか送ることができないが、残る少ない人生、周り巡って災害の不運に遭った人たちの気持ちを和らげることができるよう、何か関わりを持ちたいと考えている。
 
ここを読んでくださる人はメタル好き。
元気をもらおうと本気で思って聞けば、メタルは必ず元気をくれる。
つまらないこと書いとんなと自分で思うが。
言葉にすれば浅い真理が、明るく力のある励みになるのが、本当に困っているときである。

約20年前の阪神淡路大震災、神戸市長田区で、仕事場が潰れ、かといって大阪に戻る気もせず、「愕然」という本来瞬間の状態を数週間にわたって味わった私に、生きていく元気をくれたのが、電気がかろうじて通じたとき、滑り台かというくらい傾いたアパートで独りで聴いたFAIR WARNINGのファーストアルバムでした。

一生忘れられない名作です。
助けられたから、こんな歳になってもメタルばっかり聞いてるんです。
心を助けてくれるものに出会えることは、幸せだ。

音楽を励みにしてほしい。

この際、BABYMETALでもいいじゃないですか。


  





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