相変わらず、震災被害の何もない地域に住む人間のぼやきで申し訳ない。

今回は私も少し落ち着いた。
前回のような暴言は言わない。

と思う。




という尻からいきなり暴言である。


被災した人に文句を言うつもりなどないが。

子供が困っている、可哀想、子供子供子供子供、
子供は弱いから?
だったら同じく老人も困っているだろうに、なぜかおじいちゃんおばあちゃんを連呼する人間はいない。
なぜか子供子供子供。

違うと思う。

いつまでも地震直後みたいなことを言っていてはいけない。
身体上の理由で元気でいることができない子供たちは、すでに被災地から離れた病院にいる。

子供はときにはうっとうしいと思うくらい、いつでも元気である。
しかし、子供が見てトラウマになってしまうほど、辛いことは。
これからの暮らしについて身内同士喧嘩する姿、怒鳴る親の顔、自分を普段以上のキレ調子で起こる怖い親の顔である。

子供子供と言うあなたの表情は、倒れる寸前じゃないか。
そういうのは、少しも美しくないのである。
非常時である。
子供は子供分、そして親は大人分の食べ物、栄養、リラックスがこの先、生き抜いて行くにあたって、絶対に必要なのだ。
子供は大人よりも倍以上、柔軟な生き物である。
柔軟ではないし、どこかから落ちたりこけたわけでもないのに身体を壊すことがある、親こそ体力を持たなければいけない。
すべての基本である。



さて。


これは神戸のときも東北のときもそうだったが、災害から遠く離れた地域の人々の日常では、災害のことが頭にないわけではないが、それは思い浮かべる、程度のものであり、心に重くのしかかっているわけでも、人によっては頭の片隅にあることすらもない。

人の情は本当に薄い。
薄いと言うより、他人に向ける情など、そんなものはない。

血縁者や、愛する人とやらに向けた情は、諸外国並みにはあるんだろう。
しかし他人に向ける情がこれほど薄い国はない、
と思える。

地方ではまだ昔ながらの場所が数多くあると思うが、私の住んでいる都会ではそうだからだ。
それこそ私含め、私の周囲では正味の話、喫茶店に行く金も余裕のない、人生通して年中被災しているような人間ばかりでどうしようもない。


ある人たちが、火事でも事故でも、本人たちに責のない不運に遭って、近所の他の人はどう感じるか。
長くて一週間程度は、家に帰って家族と飯を食うときにはその人たちの話題になるかもしれない。ただし、電車に乗って仕事場に出て仕事している自分の頭の中には、事故の明くる日であってもその憐れな人たちのことは頭の片隅にもない。

それこそ、今の世の中の普通である。完璧に普通である。
大事なのは身内だけ。
まったく知らない人の命より、目の前の100円。

自分<身内<共同体<町<市<地方<国、
それは古代、中世の人々の考え方ということだが、そっち方面の話ではない。
人がいてこそ自分がいる、親、先祖がいて自分が生まれたという、人間として正しい生き方考え方がこれである。
この「<」の向きが完全に逆になっているのが今の時代。
もちろん政治や行政が「<」では困るが。
自分は誰に生かされているか、何に生かされているかを考えれば、「<」の考え方も人間として正しいのだ。


前回、ものすごく暴言を吐いたというのは自覚している。

ボランティアが悪いと、このアホが言っている、
ボランティアに反対とは何事か、
そう捉えられたなら、私の言葉不足だったというか、私の言語能力欠如である。

被災した人を、数日程度励ますのは難しいことではないと思うし、何もしないでそこにいるだけで被災した人たちの元気になるという人間もいる。

私がうざいと思うのはボラ男ボラ女である。

何年、何10年かかる自分の生活の建て直しは、被災した人にとっては重圧なんてもんじゃない。
そこを見せた人に対しては、傾聴、じっくり聴くしかない。
赤の他人に、心底困ったことを打ち明けてらっしゃるのだ。
「今が底、あとは上がるしかない」系のクソの役にも立たない励ましは厳禁である。
意見など言ってはいけない。
明るい人間が、聞き上手とは限らない。というか、明るくてはきはきした人間に、聞き上手がどれだけいるのかと私は思う。
明るくはきはきした人間が、私は2回の大災害で信用できなくなった。被災した方相手に、クソみたいなことばかり言ってたからである。

最初から自分探しとやらで来るバカタレは、誰が排除しないでも、すぐにいなくなる。
これはあかんだろうと思うのは、現場で辛い目に遭えば、誰しも「私こそ助けられている」方面の変な根性で乗り切ろうとすることであり、これが一時の気持ちでなく、そんな気持ちでずっと動いていれば、まずボラ妖怪になる。それこそ私が何度も目撃、遭遇したような、偉そうなボラ男ボラ女になってしまうわけである。

一回くらい、そういうことを、言われて感動してくれるお年寄りにでも言う分なら、まだいいかもしれない。
思うのは勝手である。しかしこれをやたら何回も、誰にでも言う奴が多い。
そういう奴はバカタレだと思って、相手にしない方がいい。
と私は思うのだが、そこそこ大きな団体の長がマイクでそれを言ってる始末だから、嘆かわしい。

元々行動力のある人間が、自分が正しいと無意識に思い込んでいるもんだから、被災した人たちにも、本人たちの気持ちを無視した行動を無理強いしている場合も多々あったりする。
神戸のときは自分が半年以上被災者だったから自然とそう思ったし、東北のときは、より一層そう思った。

(以降、皮肉ではない)
ボランティアの人たちは、本当にありがたい。
神様だ。
自分だって仕事があるのに、タダ働きに来てくれて。
それも楽な仕事じゃないのに。

義援金。
はよくれと思ってたが、さんざん待たされた挙げ句、やっとのことで手に入った。
体調が本当に悪くなってしまった食事の偏りが、これでどうにかなる。
どうせすぐに戻ってこなければならないけど、ここを少し離れて、何も考えずに2日程度、寝倒したい。
小学生のお小遣い50円から、大金持ちの寄付数千万まで。
日本のみんな、本当にありがとう。
生きるためにこのお金、遣わせていただきます。

後の暮らしの心配を除ければ、被災した人には今、その2つの気持ちしかない。

だから、被災地に住んでいない人間は、被災地に関わりたいと思うならば、お手伝いに行く、または義援金を送る、その2つだけであって当たり前。

それが、実際は2つどころか、いろんなことを言う奴、わけのわからん行動をとる奴が多すぎて多すぎて。

たとえば前回、芸能人の悪口を書いた私だって、そんな馬鹿の1人である。
芸能人に悪気がないのはわかっている。
薄ら寒い天然ボケ連中の乱立ぶりにムカっ腹が立ったのだ。
ひょっとしたら、メディアの捏造かもしれない部分もあるのに。
頭を冷やして考えた。

その芸能人のファンが被災地にもいる。
何100人単位でいるだろう。
だったら、その何100人が気持ちを救われた、
ということは、その芸能人の仕事は成ったのだ。
外野が何を言おうとも。

近年、何だってそうであるが、ネットでは、答えの出ないことでたくさんの人間が盛り上がっている。
有名人、公人、言葉の汚いブログの一般人など、発言関係がやたらと多い。
それに不謹慎関係ばかりだ。
一体もう何年になるのか、いつまで経っても、はげ頭横直列謝罪の絵がどうしてみんな、好きなんだろう。好きどころか、謝罪の絵をみんな愛しているんじゃないか。
謝罪が大好きというのは、もう国民性なのか。
数年前、不特定多数の人間を相手にする、教える関係の仕事をしていたが、何かあれば、話し合いをせず一方的に「謝罪を要求します」と言ってくるタイプの人間が多くて、本当に嫌になった。
永久にはげ頭横直列を、一般の皆様は愛するのだろう。20年後もきっと何も変わっていない。

あほくさい。

被災した人に、何も関係がないことばかり。
○であっても×であっても、被災した人には関係ないのである。
あれ? 震災のことじゃない?
三菱自動車?
この時期に何時間もテレビ画面独占するなよ。ボケが。
あ、そうか、国民の皆様はもう、震災に飽きたんだ?
テレビ局もそう考えてるのか?

自粛騒動もまったく馬鹿らしい。
自粛を謳う人間も、自粛反対を叫ぶ人間も、どちらも要らんのだ。
被災した人と関係のないことで、今、盛り上がっとんとちゃうぞと私は思う。
自粛するなら、アホがネットの使用を自粛しろ。

所詮、現場をこの目で見ないことには、被災した人たちの感情をうかがうことはできないのである。

大変大変、可哀想、とは言うが、テレビで取材を受けていた被災者の方を見ればわかるだろう。
困ってます、助けてください!と泣く人がいたか?
映したものが「この出来事のすべて」のように報道するいくつかのテレビ局は、泣き叫ぶ人がいたら、必ず映す。見ている人がチャンネルを変えないからである。神戸ではよくあった。
今回の震災、そして東北の震災で、震災直後、そういう人が一体どれほどいた?


自分一人が交通事故に遭ったり火事に遭ったりする方がよっぽど辛いものであり、なぜかというと、酷い目に遭っているのは自分だけだからである。
災害の場合は、自分がいる場所に自分と同じ境遇の人たちがたくさんいる。
だから辛さを分け合えることができる。
ときには大変迷惑なテレビ局の取材にも、進んで応対する。

では、「テレビ局の取材に進んで応対する姿」が、被災した人の本当の心か。

泣き叫びたい心を隠して、頑張らなければならない!という気迫で我慢してらっしゃるのだ。

テレビ局は必要である。
しかし、被災地に飛ばす人間を選べ。頼むから。

大体、今回以前から、テレビニュースは事件に対し、喜色満面のツラを見せることが多々あるわけである。
最もそれがよく現れているのは、
「誰でもよかった」
「泣き止まないので黙らせようと思った」
犯罪者になり切る馬鹿声優、馬鹿アナウンサーが普通にいるわけだろう。

今こそチャンス!
これをキャリアに!
そういう、顔をしているのがいるのだ。滑稽なヘルメット姿の連中の中に。
本当に、そういう話を聞いたことがあるし、そんな話を頭から信じないにしても、私は人の心が読める。
私じゃなくても、言葉の勢いから、人が考えていることなど、ほとんどの人が読める。

取材を受けるおばさん2人の後ろで、物資を運ぶのを手伝うわけでもなく、ぽつんと座っていた40歳前後のおっさん。
魂が抜けた顔がしていた。
そりゃあ、魂も抜ける。
命が助かって良かった、家がなくなっても生きていて良かった、
これから頑張ろうモードで、最初の3日〜1週間はハイテンションで乗り切れる。
本当に辛いのは、これからである。この魂の抜けていたおっさんは、それに周囲より早く気付いたのである。

具体的に言えば、震災後ひと月目以降である。
震災後ひと月経ってから、自殺者が増え始めたという東北の事実がある。

泣けてくる。私は。
本当に辛い目を、この先に味わう人がいることを考えたら。



今でこそ言えるが。
いや、以前書いたかもしれない。
忘れた。
私にはいまだに、周囲の誰にも言っていない話が4つ5つもある。





20年前、私も神戸で、自殺を試みた。
震災後、半年は経っていた。街は復興の兆しを見せ始めていた。街は復興するだろうが、私は貯金、金がなくなった。今同様、銀行に100円単位しか金がないという状況に気付いて、愕然とした。避難所がなくなった直後だった。来月、来週、食うものを買う金がない。
膨大な額ではないが、仕事を立ち上げるための借金もあった。
性格、人格がすっかり変わってしまうほどの衝撃を受けた。
貯金通帳の残高で。
街は復興しても、自分自身は復興できない。復活できない。
今にして思えば精神を大きく煩っていたのだと思う。

その前に、大事な人も失った。
震災直後はマンガ本と人形しかない、さほど重くもない倒れた本棚の下で暴れた程度で、近所の人に助け出され、それから近所の人に混じり、小さい身体で、火の手が迫る、崩れた家々から何10人も、人を引っ張り出して助けたらしい。
ケータイはまだ「社長さん」だけが持っているという時代だった。
新築の賃貸マンション。私は大丈夫だろうと思って、2日後くらいに会いに行けば、なぜ助けに来んかったと、どつかれた。

彼女は私のバイクの後ろに乗り、いろいろなところへ行けと指示した。
神戸市西区の大学のグラウンドにヘリコプターが来て、私は医療用物資を取りに行けと言われ、あり得ないスピードを出して自分が死にそうになりながら、アレルギー患者用の点滴や、トランクケースに入った重い医療機器などを運んだ。
震災当日から1週間程度は経過していたと思う。
バイクがガス欠になり、ガソリンを誰かが持ってきてくれるというので、それを待つ間、軽自動車を借りた。
彼女が個人的に友人を捜すというので、私が連れて行った。車がなかなか進まない道中、少し寝ろと私は言った。
目的地に着いた。
起こしても起きないので、よっぽど疲れてるのかと思った。
せっかく来たのにどうしようかと私は思った。大きな車が、続いて後ろから来た。自分が乗っていた車がおもいっきり邪魔だったので、車を端に寄せた。
どん、と車の右側タイヤが前後とも地面の裂け目に落ちた。道路の端には水が貯まっていた。私はただの水貯まりだと思っていた。車は結構、傾いた。
彼女は横にゆっくり、倒れた。
身体が曲がらず、どういうわけか上半身まっすぐの状態で、座ったまま倒れた。

修行をしていた病院は廊下まで患者でいっぱいで、ずっと病院の車(救急車じゃない患者送迎用の軽自動車)の中で寝ていたのだという。
エコノミークラス症候群。24歳という若さながら、風邪で寝込んだことすらないという看護学校優等生の頑張り屋が、当時はお年寄りは気を付けようという認識しかなかったエコノミークラス症候群で、その兆候も一切見せず、助手席で寝ているわずか15分程度の間に、死んだ。15分前はまったく、いつもの騒がしい奴だったにかかわらず。

私は震災当日以上のパニック状態になり、その日それ以降のことはよく覚えていない。
事故でも何でもないのに、真横にいた人が死んだのだ。それも他人じゃない。
親に、せっかく震災で死なずに済んだのにおまえが殺したんだという旨のことを言われ、以前に一度会って楽しく会食の席を共にした兄貴に殴られたことは今でも覚えている。
私は事情を説明したとは思うのだが、むちゃくちゃなことを話していたのだろう。
警察に連れて行かれたことも覚えている。エコノミークラス症候群という、生まれて初めて聞く言葉を教えてもらったのもその警察で、だった。警察からは数時間で帰された。

何とか乗り越えたつもりでいたが、乗り越えてなどいなかった。高いテンションで半年近く、走ってきただけだった。そのとき初めて、歩いたような気がした。そして、もう駄目だと思った。
記憶があまりない。だから私は何らかの精神的な病気に罹っていたのだ。
当時、被災者向けに市が格安の料金で、海のそばにある仮設工場を、格安で貸してくれていた。
そこで下半身不随となった私の友人などを集め、仕事ない人みんな寄ってこい、みたいな工場をやっていたのだが。(もちろん私だけが主催していたわけではない)
2トントラックの半分程度もある、大きな工作機械があった。その上に私は乗り、天井にロープを通し、首引っかけて、助走を付けて、工作機械から飛び降りた。
直前、何を考えていたかはまったく、覚えていない。今にして思えば狂っている。

ロープを引っかけた、天井付近のワイヤーか何かが速攻で外れ、私は2〜3メートルの高さから足を下にしてコンクリートの床に落ちた。
右足のかかと付近が、見る見るうちに、野球のボールくらいに腫れてきた。
痛い、なんてもんじゃなかった。
私は日本製ホラー映画のお化けのように、ずるずると腕だけで這い、ほとんど真夜中、誰もいない海沿いの道路に出て、助けを求め、どこかのおっさんが車で通りかかって、そのまま病院まで運んでもらった。

仕事中、工作機械から落っこちたということにした。
あまりの痛みで、すべての精神的な病気が吹き飛んだ。

ロープまで、自分で買いに行ったというのが自分でも信じられず、理解できず、精神の病の恐ろしさを実感した次第である。
今でもあのことを思い出すと、怖い。






くだらない話をして、一体何を言いたいのかというと。

そんな心持ちに囚われている人たちが、悲しいことに、被災地にこれから出てこられるということである。

自分では、こんな状況、どう変えようもないのである。
顔見知りは、金がある奴から順番に「個人復興」していく。
自分という人間は何も変わってない、と思うのだが、毎月毎月、人付き合いが少なくなっていく。
自分のせいであれば納得も行くが、すべては災害のせいなのだ。
自分だけが復興できないなんて、絶対におかしい。

災害は周囲の人間全員に等しく訪れたのに、復興はどうして、等しく訪れないのか。

幸運なことに、大災害に遭っても暮らしは「プラス」のままの人がたくさんいる。
それはいい。

悲しいことに、大災害に遭う前から暮らしが「マイナス」の人もたくさんいる。
もちろん、大災害を機にプラスからマイナスに変わってしまう人もたくさんいる。
そういう人の苦労が始まるのは、これからなのである。

家族の励ましに恵まれた人は、家族と一緒に自力で何年もがんばることができる。住宅ローンみたいに、長年かかってやっと暮らしを過去の水準に戻した人もたくさんいる。
私みたいに家族に恵まれない人間でも、カラ元気で何とかなった人間もいる。不思議なことに、震災で喪った大事な人を忘れないような、別の大事な人も間もなくできた。
震災前よりも仕事が回転し始めた。金持ちにはなれなかったが、自分にしかできない仕事ができた。そんな場所ができた。

今に続く、と、まったくそうならなかったのが、自分という人間の器の小ささ、甲斐性のなさであるが。

ただし、私は何とかあの未曾有の災害その後と闘った。ずっと闘った。
今も引きずっているので、私の暮らしは本当に厳しい。

私が死ななかったのは、仮設工場の天井のワイヤーがへぼかったおかげである。
(・・・つまり、そんな経験のある人間が人を励ますような仕事を永久にしようだなんて、虫が良すぎたということであり、だから地獄のような今があるわけで)


私は誰に助けてもらったか。
神戸から去らず何とか今も生きている顔見知りの数人は、誰に助けてもらったか。

結局、同じ被災者、ご近所さん、そういうことになる。

それを、募金する人間も、ボランティアに長い間行く人間も、すぐに帰ってくる人間も、全部理解しておかねばならない。
人間が立ち直るために、最も大きく、ずっと続く力は、同じ体験をした者の存在と、ご近所さんとの助け合いが与えてくれる、何かなのだ。


被災地はボランティアを、待ちに待っている。
ただし、ボランティアは頼むから、テンションを抑えてほしい。
テンション上げずに、行く前に死ぬほど肉食って体力持続力だけ上げてほしい。

すり減った気分で、フレッシュマンに対応する気の疲れを考えてみたらいい。
例えば徹夜二日連続で仕事して、今日もまだ徹夜かとげっそりしているところに、新入社員が来て、よろしくお願いします!何かできることがありますか!と元気いっぱいに言われても、今はあっち行ってくれと誰もが思うのだ。
そういうときは、例えば、「私の車の中で少し寝てきたらどうです?弁当で良ければ何か買って、置いておきますから」など、さりげなく言ってくれる人間が一番ありがたいのである。

神戸でも、東北でもあった避難所の風景。
一番先にブチ切れる(または倒れる)のは、「被災者なのにボランティアみたいなことをしている人間」である。
若い男、体力ありそうなおっさんともなれば、被災者だからと言って、毛布にくるまってじっとしているわけにはいかない。真っ昼間に車の運転席にぼっさーと座っているわけにもいかない。
何か、手伝う。(何もしない人間もたくさんいたが)

勝手を知っている分、外部から来たボランティアにあれこれ教えることとなり、場合によれば、その避難所の顔になっていたりする。

気分転換に遊びの相手をした子供たちが、自分がみんなからずいぶんと遅れてメシを食っている最中に、背中に容赦ない蹴りを入れてくる。
おとうちゃんは外に出ていたのだ、どうしてうちがもらう分、お父ちゃんの分がないの? と、おばさんが文句を言ってくる。
トイレが詰まった!と、女性グループ数人が押し掛けてくる。
消灯後は、不眠症になった人たちが幽霊のようにわらわらと寄ってくる。
せめてぐっすり寝たいと、ボランティアの部屋に潜り込めば、やはり元気の有り余る子供たちが夜遅くまで暴れ倒している。
車の中で寝るしかないが、身体が痛い。
仕方ないので、崩れた自宅に戻って寝る。
怖いが、今は静かに寝られる場所がほしい。

余震で揺れる、水平な部分が何もなくなった、真っ暗の自宅で考える。
俺も被災者だぞ。なぜなんだ。ばかたれ。

・・・被災地では、そういう人を見つけて、そういう人が休むときに休めるよう、ヘルプをしてあげてほしい。

皆様を平等に!
ではない。
広い眼で見るということは、その場を見渡すことだけではない。
ましてや、皆様を平等に、なんて私に言わせればア、ホ、かである。

黙ったまま、不平不満を言わず、じっとしている人が必ずいる。
話しかけても私は大丈夫と言い、または、ほっといてくれ、向こうへ行けと言う人間だっている。

ヘルプの手が届かない人に、どうか、よく注意してほしい。

ベテランとやらは、救いの手を拒否する人に対し、さぞわかったようなことを抜かす。被災者の気持ち優先、邪魔してはいけない。とか。

少しは、心理学とか学んだことがないのか。

助けを拒否する人間が、そもそも避難所にいるわけがないのだ。

逆に、焦らせてやればいい。「あなたを助けに来たのに、そんなこと言われて、悲しいですっ。もう帰りたくなってきました!」
そういうときに、どさくさでこれまで我慢していた涙を流すのだ。女性であればかなり有効だろう。偏屈者は必ず話し出す。

見た目に助けが必要な、目立っている人は、同じ被災した人を含め、誰かが列をなして助けるのである。

余計な高ぶりを抑えて、誰が一番大変な思いをしているのか、それが見えたら、もうその時点で遠いところからはるばるやって来た意味がある。

ボランティアに来て、気分を損ねて帰るなどというのは、愚の骨頂と言うべきと同時に、もしそんな人が当初の気合いと計画どおりに被災地に滞在した場合の労働量の損失は、被災した方たちにとっても損になってしまうということも考えたい。

特に介護の仕事をしている方(私は経営側が大嫌い、あくまで現場の仕事をしている人たち)からよく聞く話ではあるけど。
認知症は関係なく、性格的に問題のある嫌味なじいさんばあさんでなければ、年寄りの話はおもしろい。当たり前である。自分の倍、ひょっとしたら3倍4倍生きている人たちなのだから。

介護(およびそれ系の仕事)では、ある老人と話し込んでいたら、だいたい必ずと言っていいほど、上の奴から怒られたりする。
ようしゃべる吉田さんの相手ばっかりして! みんなの話し相手にならな駄目とちゃうの!

介護は、仕事である。
しかし介護を受けることは、仕事ではない。介護を受けることは、その人の生活である。
よくしゃべる吉田老人にはよく話を聞いてくれる人間がいるのが、吉田老人の生活であり、あまり話さない上田老人は、自分の周囲に話す人間があまりいない、それでもいいというのが上田老人の生活である。
話し相手がいないイコール、いけないことだと、どうして決めつける。
大体、自分が話したいときに介護職員はいつもバタバタしていて、話しかける雰囲気じゃないと思っている老人も大変多いのだ。
90も過ぎれば、眠たいときは会話どころではないという方もいるだろう。見守りの時間が老人じゃなくても眠くなるような時間だから、そんなもん、話さない人は話さないのだ。
それに、よく話す人の周囲には、その会話を聞いているという人もいる。聞くのが好きだという人もいる。
しかし、見守りとやらの時間に、よく話す人の相手をすることは、ご利用者様差別待遇にあたるらしい。

そういう考え方をする人間は、馬鹿である。
そして、世話する側される側、そういう関係が出来上がった場所では、必ず同じ状況が発生する。
臨機応変という対人関係の基本が、疎かにされる。


ボランティアに長けていない(人と接する仕事に慣れていない)方は、どうか、自分の器とか、そういうことは考えないでほしい。
目の前にいる人を安心させているのなら、そのことだけを考え、余計なことを言ってくる人間は必ずいるけど、「自分の精一杯の働きで安心している人」と「何かにかぶれた余計なことを言ってくる人の命令」を、秤に掛けてほしい。

よく話す人の相手をするのも結構。
あまり話さない人に、あれこれ世話を焼くのも結構。
黙って、労働に汗を流すのももちろん結構。
すべて、やり甲斐も意義もある、あなたしかできないことなのだ。

東北で一人の奴(二十代前半、男)と話した。
見かけ、暗そうな奴だったが、私がある老人に靴下を履かせていると、話しかけてきてくれた。
津波の来なかった地域に住んでいる。仕事場がなくなったから、何かしようと思ってここに来た。でも自分は団体行動が苦手で、ボランティアの輪の中に入っていけない。びっくりしたとき以外は大きな声とか、出せない。すぐにいっぱいいっぱいになるから、何度も怒られた。
そういうことを言っていた。だから、特定の人の世話だけしてるそうだ。
ボランティアグループの名簿から外してもらうよう、それだけアドバイスした。
そうしますと言っていた。
何度も怒られたと言うけど、被災した人に怒られたのか?と訊いた。違う、とそいつは答えた。それで大分、気分が晴れたようだった。
それで、そいつなりの、そいつにしかできない仕事ができるのだ。
靴下を履かせた老人は、そいつと話し込んでいた。その老人には、そいつが頼り甲斐のある人だったのだろう。


まとめ。


ネットなど、言うだけの世界である。
これだけ大きな騒ぎになっているのに、被災した人の声(ネット上の書き込み)が何も聞こえない(読めない)状態が続いている。
これは、考えたら、当たり前のことである。

ツイッター以外、悠長にパソコンその他に向かっている人など、現地にはほとんどいないのだ。

ネットなどより、普通の生活がずっとずっと大事である。

災害が起きない限り、「当たり前」の大事さが理解できないというのは悲しいことである。

でもそれだけ、モノに恵まれた素晴らしい国に自分たちは生きているということ。

震災後わずか1週間でボランティアが大勢、被災地に訪れ、その受け入れ体制も徐々に整ってきている。

被災した方も、「普通の暮らし」が災害の元ではいかに脆く崩れてしまうかを目の当たりにするボランティアの人も。
見たことを後生、いろいろな人に語っていこう。

何でもあって当たり前と思い込み、自分が神様、100のうち1つの不満を、勝手に50,60,70に膨らませて、権利だけを主張し、文句ばっかり言っている中年バカタレども。
馬鹿だけが遭う災害、というのがあってほしいが、それはない。

災害など、二度と起こりませんように。

現地の若い人、ボランティアの若い人、主役はちゃんと人の気持ちを読みとることのできる、君たちなのだ。
本当に、無理せずがんばってくれ。

前回と同じことを言うが、尊敬できる年長者に学べ。
ついでに、尊敬できない中年の年長者は足蹴にしろ。



最後に、やっぱり、私はメタルが好きでこういうページを持っているわけだから、今回の地震で生活が変わってしまったメタルファンに、何も新しい言葉ではないが、メタルこそ元気をくれると、しつこく言いたい。

音楽なんか、落ち着いてからでないと聞けない。
それはそのとおりだと思う。
でも、1曲でいいから、寝る前にヘッドホンで聞いてくれ。
別にメタルじゃなくても、何でもいいのだ。
ももくろでも何でもいい。

好きでやってる趣味の効用は、辛い目に遭ったときに、本当に大きい。
音楽を聞いて、昔の私みたいに誰もいないところでボロ雑巾みたいに泣いてもいいし、周囲のいちびりさんを集めて踊り狂うのもいい。

音楽が助けとなりますように。

 





 

 

 

 

 

 

 

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