KRONIKLE OF 80'S 再始動企画
100%フィクション メタル活劇
80's Metal in 2014
WHATEVER YOU WANT!
序章
BGM
http://www.youtube.com/watch?v=uB4n6rAvHU8&list=PL431BD647541281AA&index=1
如月涼(きさらぎ・りょう)。
女性と間違われそうなこの名前は筆名であり、本名は大須川剛太郎(おすがわ・ごうたろう)といった。詐欺のような筆名だった。
数か月前、大須川は50を過ぎた年齢で、完全に失業した。
10年以上もの間、派遣で主に肉体労働中心に働いていたが、ついに腰を壊してしまったのである。
少ない給料だったゆえ失業保険での暮らしは赤貧の極みであったが、半年を経過しても、大須川を雇うところなどただのひとつもなかった。
しかし天は大須川を見捨てなかった。
いよいよ公の世話になろうかと考えていた時期、暇に任せて書いていた小説が、1出版社の目に留まった。
初版は500部という小さい規模で都心の本屋に置かれた。
中年男独身失業者、つまり日本社会で最も不要とされるその身分を逆手に取り、歯に衣着せぬ文体で書かれた、日本崩壊をシミュレートした物語であるその本は、特に干されている中年サラリーマンたちに受けた。
2版が1万冊。
勝負に出た出版社の賭けが当たり、さらに増刷が決定している。
如月涼、しかし実体は、禿げ散らかした中年親父。独身。
そのギャップが、同出版社が出しているサブカルチャー雑誌のインタビューで、さらに受けた。
2度目の著作はいきなり、自分の育ちを自虐的に書いたエッセイである。
唐揚げ弁当に皮の固まりを必ず2つ入れるという近所の弁当屋への文句に始まり、ファミリー層をターゲットにした高い割合の客商売、限りなく撒き散らされた消費の煽りに乗る人間たち、さらに派遣社員の実情、失業者の実態、まだまだ、福祉介護業界の内情暴露に加え、弱者出身の政治家がいないという言いがかりにまで発展した強引な本の内容は、貧乏サラリーマンを越え、弱者たちに大受けした。
割合いかがわしい類いの雑誌を売り物にしている出版社であり、よって如月の本の広告も、コンビニでしか売っていない雑誌、スポーツ新聞に載せられたに過ぎなかったが、関東では売り上げ1位を記録した書店がある。
ただし喜んでいたのは出版社の人間であり、印税定額契約であった大須川には、失業時代と同等の赤貧な暮らしを半年ほど、キープできる金が入ってきただけである。
自分は色物である。そこは自覚している。
地元、大阪の端ではまったくの無名人であるに関わらず、東京の中心へ行けば、先生と呼ばれる立場になっている。
色物として何ができるか。何をやらせてもらえるか。
この年齢で作家など、無理である。そして色物としての面白さが薄れたときには、簡単に出版社から捨てられるのはわかっている。
前回の本の出版の際には2週間ほど、東京にいた。手直し、校正作業のためである。
出版社は新橋のビジネスホテルを用意してくれたが、千住にある1泊2800円の宿に泊まるから、差額を現金でおくれ、と申し入れた。
大須川としてはごく自然に言ったつもりだったが、それが出版社内で大ウケして、笑い倒された。
その話が社内に広まり、千住の先生というあだ名がつけられた。
大須川に対して、出版社の人間は笑うか、おだてるしか、しない。
大須川としては老後の生活を考えなければいけない年齢であり、できれば、普通の仕事がほしい。
しかしそういうリクエストには出版社は応えてくれない。いや、出版社だけではなく、身体に故障を抱えた中年など雇う会社は本当にない。
となると、今は、書くしかないのである。
今書いているものは、捻れた母娘の関係を描くミステリー風の小説である。
原案では父子の話だったが、それでは世間に受けないということで、母娘の話にしろと言われた。今風の場面もたくさん入れろと言われた。
母も、娘も、大須川には縁がない。今風母娘の物語。えらいことになった。
まだ暴力団への突撃レポートのほうがましだという気がする。
また、余程酷い内容でもない限り出版が決まっているものであり、以前のように好き放題書きたいことを書くというわけにはいかない。
面倒くさいのが話の背景である。
たとえば病院の場面があるとしたら、病院という場所の実際に即した背景をしっかり書かねばならない。市役所が登場すれば、主人公たちが受ける手続きなどについて、事実を書かねばならない。
物語はフィクションであっても、背景はフィクションであってはならないらしい。
それ風の名刺を作ってもらい、関係各所に取材を試みたが、地元大阪では完全に怪しい人間扱いをされた。
東京ではそんなことはなかった。
仮にもその、文化人の扱いというのが、東京と大阪では天と地ほどの違いがあると実感したが、印税定額契約の身では東京で自由に動くというわけにも行かず、大須川は早くも壁にぶち当たっていた。
そんな中。
大須川にとっては大いに興味をそそられる話が舞い込んできた。
大須川はかれこれ10年以上、「くろくろ」というハンドルネームを名乗り、音楽のホームページを持っている。更新はここ数年ほとんどしていないが、閉鎖することなく残している。
音楽といっても現在の音楽シーンを縁の下から支えるような商業風のページではなく、80年代ヘヴィ・メタル限定という、何ともマニアックなホームページだった。
折しも、著作を読んで気に入ったという、小さなCS局の社長が、大須川に声をかけてきた。
CS局の1つ『懐かし音楽ちゃんねる』、通称NTVがひと月まるまる80年代特集をやるそうで、なんと、ぶっ通し6時間枠、その中で司会役を担当し、好き放題80年代メタルを紹介してくれというオファーだった。
詳しく話を聞けば、80年代きらきらポップス、洋楽、邦楽を紹介するというそれぞれのグループに予算の大半を奪われ、メタル番組に割り振られた予算は人件費制作費すべて込みで11万円であり、PVすらほとんど流すことができないという。
ただし、曲を流すのは全番組一括して年間の著作権料を支払っており、まったく問題ないそうである。
番組は1日だけ、6時間ぶっ通し。
無茶な話ではある。どうにか考えてくれ、と社長に懇願された。
そこで大須川は考えた。
もともと口から生まれたような人間である。自分のしゃべりは問題ない。
出演者。
ホームページ内で、メタルマスコミ、雑誌などについてさんざん悪口をこいているから、いわゆる業界人、識者を呼ぶことは避けたい。大体、全予算が11万円、識者など土下座しても来てはくれないだろう。
そして閃いた。
座談会をやる。
閃きとしてはあまりにお粗末であるが、その日は来月に迫っており、雑誌とのタイアップも難しいらしく、なんせ予算が11万円である。
自分ひとりで6時間語るか。
素人集めて日当を出し、座談会をするか。
2択しかなかった。
何とも能のない企画であるが、自分という人間も何も目新しさがなく、能もない人間である。
10年以上、派遣の肉体労働者。得意なことと言えば、ブラインドタッチが出来ないのにブラインドタッチでキーを打つ人間よりも速くキーを打つことくらい。
素人ばかりの6時間討論番組。
それに決めた。
自分だって素人だ。そんな番組など他にない。
ここの社長は変わっていた。
あんたなら絶対に面白いことができる、本を読んだが、あんたは面白い人間だ。社長はそう言って、大須川をおだてた。
本を出すまで、通算300社以上から不採用、ご縁なしの憂き目に遭い、そして最終的に一度も、どこにも雇われなかった。郵便切手の個人消費量で言えば郵便局から表彰を受けてもおかしくない。
半年前は名もなき一般人どころか、大須川は一般人にもなれない最下層の生活を送ってきた人間である。
一般の会社、300社に採用を断られるのは、何かしら特別な才能があるという考え方もできる。
その才能に、自分は幸運にも、気がついた。そんな気がした。
今では貧乏人代表として貧乏人の注目を浴びている。
『ない』からこそ気付く視点、などとサブカルチャーの住民たちが持ち上げてくれている。
となれば。
貧乏と馬鹿で番組を盛り上げてやる。
普通に音楽を紹介して、何が面白い。
同じ人間を集める。
業界人、識者を呼ばないのは逆に強みになるかもしれない。
過去何度となく特集された雑誌記事と同じことを語られても、見ている視聴者はおもしろくも何ともない。識者など呼んでも、知識と体験を披露されるだけである。
番組には、満ち足りたような人間は出さない。
ひいひい言いながら、孤独に熱く生きている人間を選ぶ。
必然的に、一般社会から距離のあるおっさんパラダイスとなるだろう。
しかしそういう人間が語るメタルというのは、熱い。
そして暑い。暑苦しい。
暑苦しさこそが番組の大事な要素なのだ。自分の生涯の趣味と言っていい80年代マイナーメタルに、この地日本で、最後の墓標をぶっ立ててやる。
当然、女子供は一切立ち入り禁止である。
大須川は進行、計画を練った。
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