第2章

BGM
http://www.youtube.com/watch?v=a2DxA6aqt6w


 午前11時45分。
 大須川は一行をスタジオに案内した。
 いきなりヒゲのディレクター、横川が焦っていた。
「大須川さん、まだレコード、来ないじゃないですか! ちゃんと時間指定されました?」
「そんなアホな。指定された通り、朝10時半に時間指定しましたよ」
 大須川は財布の中から送り状を取り出して、確かめた。
 10時30分の0ひとつが抜けていて、1時30分になっていた。
「あの...」 大須川はディレクターに宅配便送り状を見せた。
 それを受け取った横川ディレクターは面倒くさそうな表情で、大須川をじっと見た。
「おい! ちょっとこれ、確認しろ!」
「はい?」 例の、男か女かわからないADがそばを通りかかり、ディレクターは送り状を突きつけた。
「至急この宅急便の電話番号に電話して、荷物が何時に着くか確認してくれ!」
「はい」


 
「あの、午後1時半ジャストに届ける、大丈夫、と言ってますが」
「大場を呼べ!」
「はい」
 まもなく電子たばこをくわえた、大きくて四角い顔の男が来た。
 大場プロデューサー。大須川は以前に一度会って食事をしている。
「あっらー。レコードジャケット、来てないんだな。誰のミス?」
 大須川は黙って、小さく手を挙げた。大場は舌打ちをした。
「えー、レコードが届いてないってことは、音、流せないんですかぁ?」 横で話を聞いていた三上が甲高い声で訊いた
「まっさか。音はパソコンに全部入れてあります。そいつをオーディオにつないで、音楽流しますので」
「ああん」 大場は丸めた書類で、先に進めとばかりに三上の腰を押した。その拍子に三上が変な声を出した。
「ネオ東京テレビじゃあり得ない話だよまったく」
 そのネオ東京を追い出されたのはおまえじゃないかと、横川ディレクターは言いたくなった。
 もう大場プロデューサーはスタジオ内で指示を始めていた。

 これは違うぞ。これは無茶だ。
 大須川は収録スタート15分前に、ギャラリー6人に向かって立ち尽くした。

 両脇には稼働式の壁、大須川に向かって右の壁には、昔のFM雑誌の表紙のような、時代を感じさせまくる街の絵。
 向かって左側には、自分の背丈くらいに大きい、ボーイ・ジョージの顔。
 ボーイ、ジョージ、である。
 本当は両方の壁にメタルアルバムのジャケットを貼りまくる予定だったが、それが間に合わないので、別枠の80年代洋楽番組のセットをそのまま使え、ということなのだろう。
 しかし、つるべおとしのようなボーイ・ジョージの顔は問題外である。番組にとっては致命的だ。スタッフには、そういうことがわかっていないらしい。
 6人のギャラリーもおそらく同じことを考え、右、左と視線を忙しく動かしている。
 OL姿の真壁が言った。「これ、あんまりですよね。剥がしちゃいません?」
「まるっきりメタルじゃないよね」 藤村も顔をしかめる。
「そうですね、これなら真っ白の壁の方がまだマシだ」
 大須川は畳2畳分くらいある大きなポスターをゆっくり、壁から剥がそうとした。
 爽やかマンの名倉が手伝った。
 ポスターは両面テープのようなもので留められており、左上からゆっくりと剥がすことができた。
 そして剥がしたポスターの下に、大きな文字。

 東京ガスサービスショップ
 くらしプラス
 岡村商会 品川区サービスセンター 大井町店

 稼働式の壁にじかに描かれている。
「なんだこれは。使い回しか?」
 大声で誰かの名を叫んで探している横川ディレクターと大場プロデューサーを呼び止め、この壁、どうにかしてくれと大須川は懇願した。
「80年代ロックだろ、何でも同じじゃん」
 大場の返事は呆気ないものだった。
 同じではない。
 すでに着席しているギャラリーの前で呆然と立つ大須川の横に、ヒゲの横川が来た。
「西原どこ行った!? あの役立たずめ! もう11時50分だ。
 ではみなさん、着席を。12時ちょうどに始めますので。
 キュー出す人間が今どこかへ消えてますので、私の合図に従ってください。準備いいですね、大須川さん?」
「ボーイ・ジョージをどうにかしてくれませんか?」

「来ましたー。レコードジャケット!」
 先ほどの、西原というADが段ボール箱を抱えて入ってきた。
 横川ディレクター以上にヒゲまみれのカメラマンが、カメラから顔を放し、困った表情をした。
「こら西原! 収録10分前だぞ!」
「たまたま宅配便の車が窓から見えたから、追いかけてたんです。
 でもディレクター、ヘビメタ番組にボーイ・ジョージはないでしょう。
 演歌を紹介する番組で、外国女性の裸のポスターが貼ってあったらどうなりますか。グルメ番組でどん兵衛の広告が貼ってあったらどうなりますか。囲碁将棋チャンネルのバックでボディービル大会の宣伝が貼ってあったらどうなりますか。そのくらい、ちぐはぐで大変なことなんです。わかっていないのは、横川ディレクターです!」
「さっすが、おねーちゃんよくわかってるぅー」 藤村が手を叩いた。
 西原は少し笑って、藤村の頭をなでた。
 女だったのか、と男一同は思った。

 大須川に加え、ギャラリーも西原も大急ぎで、必死で、ジャケットを壁に貼った。
 紙製のジャケットを保護したいとの考えで、大須川は新品のジャケット用透明袋も用意していたが、光って写り込んでしまうということで、ジャケット裏にじかに両面テーブが取り付けられ、ギャラリーの手で次々と壁に貼られていった。

 それだけで、狭いスペースが一気にメタルの園のようになった。
 名倉が腰に手を当て、壁を眺める。
「よくこれだけ、ジャケットが用意できましたね。壮観です」
「気が気じゃないです。全部自前ですよ。剥がす時、みんなで気をつけましょう。全部紙製だから、普通に剥がしたらジャケットの裏面まで剥がれてしまう」 不安そうな顔つきで大須川が言った。

 これらは、大須川が適当に用意してきたように見えて、実は違った。
 大須川は事前に壁の面積を訊き、かなり時間をかけてレコードジャケットを選択し、貼る位置もすべて考えた。
 それが。
 全員で急いで貼ったから、こうなってしまった。
 左から右横へ、エアロスミスにブラック・サバス、ボン・ジョヴィにアンヴィル、ウィプラッシュにエンジェル・ウィッチ、トリート、右端はスレイヤー。
 エアロスミスの真下にはヴェノム。その横にはナイト・レンジャー、アンスラックス、ニュー・イングランド...
 全部で60枚あまりのジャケットは完全に順不同となっていた。むちゃくちゃである。

 放送時間1分前。
 大須川は開き直った。
 こうなればゴッタ煮の面白さもあろう。

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