第7章


「イギリスで産声を上げた新ジャンル、ヘヴィ・メタルは最盛期はほんの1年、2年間ほど。その後イギリス、ロンドンという当地ではメタル熱は鎮火したように思えました。
 その熱はヨーロッパ各地へ飛び火したと思え、のち、マイナーメタル発の、異様に充実したアルバムがあちこちから飛び出します。
 80年代幕開け当時、1980年、81年、アメリカで爆発的人気を得たのは、イギリス発ではあっても、ニューウェーブと呼ばれた、電気ポップスだったのです。
 私の年代では当時は頭の中に明確なジャンルというものを作っておらず、洋楽雑誌もすべての洋楽ごちゃ混ぜだったので、メタル好きもあれこれ、いろいろ聞いていた時代です。
 どうです、三上さん、メタル以外で有名なイギリスのバンド、いましたよね」
「懐かしいですね。さっき、ここに貼ってあったボーイ・ジョージのカルチャークラブ、デュラン・デュランやヒューマン・リーグとか」
「それは82年83年あたりになるんじゃないのか。くろくろさんは時代を少し間違ってる」
 黒田を無視して三上は続けた。「でも、そうそう、割と男子も聞いてたわよ。マイケル・シェンカーの『神』を神棚に置いていながら、スパンダー・バレエとか聞いてる男の子がいたなあ。当時は芋みたいな顔した男の子でも、感性が良かったんだね」
「その芋代表として申しますと、ビジュアルの話です」
「ビジュアル? あのときのあの人たちって、飾り付けこそ時代だけど、今の人以上に美形の集まりだったわよ」
「ビジュアルは私ども芋には関係ありません。媒体は雑誌と、レコード屋のポスターだけ。女性人気で食ってるように思えたバンドでも、音楽的には鋭いものを持っていたバンドが多かった。あの時代は。
 FMラジオは映像は映せません。音楽のシャープさ、親しみやすさが、いつの時代でも芋軍団が持つ、美形に対するおもんなさを超えていたと言いますか」
「メタルも、ニューウェーブもプログレも、全部『洋楽ポップス』だったもんね」
「そうです。
 では進めましょう。NWOBHM以降、イギリスのメタルはしばらく沈黙した。
 そして大きくなったのはアメリカンロックです。
 この曲」

http://www.youtube.com/watch?v=9RwVJVjjNA4
 ★ 

 三上が感動している。「うわぁー、懐かしい。20年ぶりに聞いたよ」
 81年の曲なので20年ぶりはないだろうと思ったが、三上を怒らせたら一番怖いという気がするので、大須川は何も言わない。
 真壁のぞ美が両手を頭に乗せた。「うわぁー、だめ。これはカッコよ過ぎ」
「ハードライダーの美学、ビリー・スクワイアです。
 ハードライダーとは何なのかよくわかりませんが、この音で思いついたイメージがそのまま言葉になったであろうと思われる、日本盤のタイトルでした。
 70年代ミュージシャンの、ソロアルバムだったんです。私はこの音のプロデュースに非常に興味が湧きました。
 ヘヴィー、と言うよりも太いです。奥行きがあります。激しい音ながら、奥行きを持たせる太い音。エアロスミスも、こんな太い音で復活を果たしましたんですね。アメリカンロックならではの、ハードロックの発展です」
「そうそう、アメリカンロックは全体的にお気楽で軽い印象があるけど、映画も音楽もドラマも全部絡めすぎだと僕は思うんです。アメリカンハードロックは、お気楽な連中もいたけど、本道はこのように重々しく、ずっしりした音だったんですよ」 名倉。
「ヘロヘロの声ですけど、なんでこんなカッチョええんですかね。
 さて、これなんかどうでしょう。これは当時日本でもかなり話題になりました」


http://www.youtube.com/watch?v=G2cqIIgc3VI
 ★ 

「出た!」 名倉が叫んだ。
「新人バンドみたいに当時言われてましたが、このバンドも実際70年代に、別の名前で2枚ほどアルバムを出していたバンドだったんです」
「高井くん、これ、アメリカンって感じ、する?」
「そうですね。アメリカンとブリティッシュメタルの融合、と言葉にするのは簡単ですが、そうじゃなくて、ケミストリーというよりはもっと原始的に、箱に入れて押し潰して固められた音、という感じ」
「ほぉー」
「それは新しい解釈だ。小難しい文章でライナーノートやらを長々書くのを得意とするライター連中よりも、ずっと的を得ている」 名倉が軽く高井の肩を突いた。
「残念ながら、こういう生々しいメタルサウンドが広いアメリカのヒットチャートで成功することはありませんでしたが、アメリカはアメリカで、ハードロックの健康的な延長上ではなく、ジャンル的にはっきりとヘヴィ・メタルと呼ばれるバンドが誕生します。
 第一に、あのMETALLICAです。新生ブリティッシュメタルに対する、尋常ではない愛着が高じてバンドを結成したというエピソードはファンなら誰もがご存じでしょう。
 でも私はこのバンドに衝撃を受けました」


http://www.youtube.com/watch?v=P_WUaMci6qo
 ★ 

「さて、アビちゃん、どうですか」
「魔王の子供が怒ってるみたいな音です」
「その魔王の子供は怪獣? それとも、剣を持ったいけめん戦士?」
「ワイルドぉ〜な、いけめんです。わたし、このバンド知ってるよ!」
「へえ、それはそれはおみそれいたしました」
「ほんと、美しい曲があるのよねー。世界で一番のバンドだよ!」
「美しいメタル、ですか。なるほど。
 クイーンズライチ。今でも活躍中です。ほら、この歌、凄いハイトーンですが、決して巧いとは言えない。ほらほら」
「確かにヘタッピだよね」 三上は全身が耳になっている。「でもこの、真面目さがいいのよ。いっぱい考えて、たくさん練習して、何回もやり直して、って音じゃない」
「いいですかー、くろくろさん」 黒田がのっそりを身を起こした。「あんた今、クイーンズライチ、て言いましたね。バンドの名前、間違えた。これは大ごとだ。クイーンズライクですよ、正しくは」
 さすがに大須川もむかっと来た。「え? なんですって? もう一度教えてもらえませんか?」
「クイーンズライクだ」
「え?」 耳に片手をあて、昔懐かしいナンデスカマンのような姿勢で、大須川は黒田の目の前で聞き返した。
 ポーカーフェイスの高井が横を向いた。笑っているようである。
「クイーンズライク。言葉、間違えんなって」
 大須川はホワイトボードの前に戻り、QUEENSRYCHE、と大きく書いた。
「外国育ちのアビちゃん、向こうの発音でこの言葉を読んでください」
「クィンズライッ」
「じゃあ、これは」
 DEEP PURPLE  「ディーッパーポオ」
 RAINBOW  「ラインバウ」
 Graham Bonnet  「グレイァンバニッ」
「ありがとう。日本のリスナーが滅多に聞けない、本国の発音ですね。
 おい黒田さん。そこまでおっしゃるのなら、あんた、FM放送のいちびったDJみたいに、バンド名、曲名を言うときだけは本国の正しい発音でしゃべったらどうかね!」
「横暴だ。屁理屈だ!」
「屁理屈で絡んできたのはそっちだろ! チであろうがクであろうが、なんだった、アビちゃん」
「クィンズライッ」
「そう、クインズライッ。あんた知ってるか。汽車はシュッシュッポッポだが、アメリカではチューチューチューなんだ。馬はヒヒーンだが、あっちではウィニーウィニーだ。
 例えば必ずアンタは、私がフィル・リノットと言えば、それは違う、フィル・ライノットだ、と怒る。いいや、絶対怒る。
 いいですか。日本人同士なら、日本語以外の言葉について話すときは、日本人の間で通用する通称でいいんです。チじゃない、クが正しい、などと。くだらん。
 あんただって、外国人と話するとき、クイーンズライク、なんて母音に子音がいちいちくっついてるような日本語発音、しないでしょう?」

 気がつけば、ギャラリーは目を見開いて大須川を凝視していた。
「...いや、まあ、私のモットーは平常心でありますから、これもそれも、生番組を面白くする工夫でありましてね」
「...あの、まあ、みんな同志なんですから、楽しくやりましょうよ、ね」 名倉が立ち上がり、大須川と黒田の肩を叩く。
「ごめんね、黒田さん。わたしがつまんないこと言っちゃったから」
「正しい言葉を正しく遣わないと。私が悪者になってないか? 今」 黒田には他の人間の気遣いなど通用しないようである。
「あっちのね、言葉が出ちゃうと、友達がキモーっていうの」 藤村が悲しそうに言う。
「あのー」 高井が立ち上がった。「こうなっても、あっちにいるディレクターやプロデューサー、何も言ってきませんよね。おかしくないっすか」
 薄暗くてはっきりわからないが、ヒゲと銀縁眼鏡が目立つディレクターと、食パン顔のプロデューサーは腕組みをして、二人とも同じ姿勢で、高井がそう話す最中もじっとこっちを見ている。
 二人とも、にやにや笑っているようにも見える。
「だよね、俺も一番最初におかしいと思った」 名倉。「しかしこれ、番組的においしい、っていうやつです。でしょ、大須川さん。
 討論番組で淡々と議論が進むのなら、国会中継と一緒で誰も面白いとは思わない。ケンカがあったり、誰かが泣き出したり、そういう展開をあの人たちは期待してるんです。
 それとも...大須川さん黒田さん、最初から筋書き通りなんですか?」
「何だよそれ」 黒田が否定した。「しかし名倉さんの言う通りかもな。俺も思ってた。なぜディレクターが遠くでああして見てるだけで、何も指示を出して来ないんだろうと。なるほど。そういうことか。
 じゃあ、番組的においしいものにしてやろうじゃないか。俺はあんたに気を遣うのは一切やめる」
「よく言う。最初から気など、1ミリも遣っとらんじゃないか」
「黙れ。これでも気を遣ってたんだよ。間違ったことばかり言う失格司会者め。ますます反論を、いちいち返してあげようじゃないか。視聴者に訊けって。誰もあんたの司会なんざ望んじゃいねえんだからさ」 黒田は腕組みである。

 そう来るか。
 じゃあ、おいしい番組とやらにしようじゃないか。
 顔の真ん中にパーツ集めた、粘土細工みたいな顔しやがって。
 はっきり宣戦布告しようと大須川は思った。
 残念ながら知識は黒田のほうが上である。口では負けるかもしれない。
 だったら喧嘩である。
 もちろん大須川から吹っ掛けない。過去あらゆる層の人間を怒らせてきたのも大須川の天性。怒って怒って、我を無くすくらい、黒田をおちょくり倒してやる。そしてキレさせる。黒田は退場。めでたしめでたし。

 そこで、大須川の皮ジャンの袖を後ろから誰かが引っ張った。
 立ち上がってこちらにやってきた真壁のぞ美だった。
「あの...私はもっと楽しく、いろいろなメタルが聞きたいです。そのための番組でしょ? 怒ったりケンカしたり、泣いたりしないでも、ちゃんと番組、成立させましょうよ。ね、みんな」
 大須川は途端に、デレーとした顔になった。
「真壁さんの言う通りだよ。おやじ二人がみっともない」 身も蓋もない言葉を放ったのは三上だった。「このおやじ二人、一番後ろに座らせて、ねえ、名倉くん、あなたが司会やったら?  あなたのお話があたし、一番面白いと思うの」
 おいこら、目がマンガみたいにハートになっとるじゃないかと大須川は思ったが、何も言えない。
 名倉は困った顔をしながら言う。「いや、それは失礼です。無理です。大須川さん、機嫌直して、俺らももっと発言して協力しますので、司会、お願いしますよ。いいだろ、高井くん、藤村さん」
「僕はこのままで異論ありませんが」
「黒田さんが空気読まなさすぎだぁー。頑張れ、海賊ちゃん」
「はいはい。海賊ちゃんは気張りますよー。では。気を取り直しまして。次です」


http://www.youtube.com/watch?v=4WU6DpFFWTM
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「みなさんはグラム・ロックという言葉を知っていますか。70年代にあったハデハデのスタイルです。
 LAメタルブームは、音楽的にはグラムロックの再現という形で始まりました。
 ただし、このバンドがデビューしたとき、LAメタルブームの開幕という宣伝ではなく、不良メタルのグラムロックンロール登場、という宣伝でした。
 そして。レコード会社が同時デビューさせたお仲間は、遠く離れた地に住む、フィンランドのハノイ・ロックスでした」
「2つとも、あたしハマったわよ〜。メンバーひとりひとりにファンがついてね、あのころの女子は。下敷きに同じバンドなんだけど、みんな違うメンバーの切り抜き、入れてるのよぉー!」
 もう何回目の『女子』だ。
 若い女の子ほど、流行の言葉を遣ったりしない。実際流行語を口で普通に話すなど、とてつもなく格好悪いことだと、派遣アルバイト仲間の10代の女の子から直接聞いたことがある。
 そういえば倍返し、などといつまでもしつこく言っていたのはおっさんおばはんだけであり、若い連中はまったく言わなかった。
 そもそも今の主婦層と話し慣れていない大須川にとっては、三上には滑稽な言葉が多く、笑い出しそうになる。
 もちろん、笑ったら怒られる。敵に回せば黒田などとは比べ物にならないくらいの強敵であることが容易(たやす)く予想されるので、大須川はもちろん何も言わない。
「ギターがぐわんぐわん、かっこいーね!」 藤村。
「このギター。アメリカンメタルサウンドの派手さにこのギタリストがもたらした役割は大きかったと、私は思うんですが」
「ここのギタリストは不っ細工でね〜。女子のファンは誰もいなかったの」
「ルックス先行で、ともすれば音楽性などどっちでも良かったと解釈されたこともある、この時期のアメリカンメタルです。
 さて、次のバンドですが、私が行ったこのバンドの初来日公演、観客はほとんど男だったというのは紛れもない事実です」


http://www.youtube.com/watch?v=wjWu11Q9obo
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「えー、ほんと? あたし、ライブは行ったことないけど」 三上。
「事実です。正式にはミニアルバム、EPでデビューしてるんですが、そこでの音はまっすぐなアメリカンメタル路線で、ファン層を限定しない、男も女もない、ただまっすぐなメタルサウンドでした。
 高井くん、この音は男性的? 女性的?」
「間違いなく男性的です。しかし不健康的かもしれない」
「なんかね、女の子の話もちゃんと聞いてくれる、マッチョなおにーさんって感じかな」
 藤村の言葉に一同ががくっとなる。
「ヘッドバンガーズ・ジャーニーという映画だったかな。メタルのドキュメント映画。誰が言ってたのか忘れましたが、言葉だけが印象に残ってましてね。
 『当時のLAには、女みたいな格好をした男と、男みたいな格好をした女ばかりが歩いていた』というやつ。このアルバムはそこらの空気がよくわかる音かもしれません。
 そして、ミッキー・ラットという名前を変えなかったとしたら、このバンドはアルバムを出すことなく消えていたことでしょう」
「きゃははは。なぁに、それ」
「そんな、全然ウケない洒落みたいなバンド名だったそうです。最初。
 でも2010年の復活アルバムは、寝耳に水みたいなメタルアルバムでしたね。
 次。LAメタルが明確な形となって見えてきたのは、このバンドのこのアルバムからでしょう」


https://www.youtube.com/watch?v=3Ji6IakkGr4
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「...今聞けば、少し不思議な音でもあります。それまでのメタルサウンドと異なる重量感。いや、はっきり言ってしまえば音は軽い。なのに、この力一杯の演奏、そしてもうすぐしたら出てきます、メタル30年の教科書みたいなギターソロ」
 2本目の伸びるボールペンで、大須川は壁に貼られたジャケットの1つを示す。
「このロゴマーク。
 シンプルですけど、大変気迫のこもったロゴマークです。このロゴマークを見た日には、必ずこの音が頭に浮かぶという。当時のアメリカンメタルは、ロゴマークについて言えば、小さく書いても看板のような効き目がある、印象的なものが多かったですね。
 はい、何か言いたげな黒田さん、どうぞ」
「当時、アメリカ西海岸と東海岸、それぞれでメタルムーブメントがあった。LAメタルブームを生む西海岸と、スラッシュメタルムーブメントを生む東海岸。ブームにはそれぞれ仕掛け人、仕掛けたレコード会社がいた。それと、モトリーとハノイは日本以外ではレーベルも何も全然違って」
「うるせえな。あんぱんまん」
「なっ!」
「私は、日本の話をしているのだ。日本語で。日本のリスナーの話だよ」
「やっぱりくろくろの話は片手落ちなんだ。これ禁止用語じゃないよな」
「音を流して、音中心に話せとなると、バンド中心にメタルシーンの流れをなぞるのが普通。
 興味を持ってくださった方が、自分で調べて、次に接することになるであろうジャンル専門の事情、状況。そういうのがいつの時代でも正しい聞き方。その内容までここで話す時間はありませんので。
 私の、この私の不勉強を補ってくださるべく、黒田さんはこの番組の後、ホームページを立ち上げます。タイトルは『品行方正、清廉潔白、正しいメタルの歴史』だそうです。はいはい、ここにテロップ出てますかー」
「おい! 勝手に決めるな! そんなこと言ってないだろ!」
「発言の後にいちいちびっくりマークをつけるようなお話し方は、視聴者に見苦しいと思いますよ。言葉の区切りは、ちゃんとまる。で区切れ」
 真壁が下を向いて笑っていた。
「さて、ここで30分間の休憩を入れます。5分前には着席しておいてください」

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