第12章

BGM
http://www.youtube.com/watch?v=b6VFJJ4toRg


「ごめんねツトムちゃん、仕事中に」
「なんだ、手が足りないのか?」
 ADの西原は、この会社で唯一信用できる先輩、吉岡ツトムを別室から呼び出した。
 吉岡は数年の下積みから構成作家になり、大手のテレビ局に出入りする身分にまで出世したのはいいが、1年足らずで辞め、またNTVに戻って来た人間である。村田ヒゲ夫同様、放送に関わるあらゆる仕事をする何でも屋である。
 仕事について言えば西原の6年程度先輩になるが、西原はいつもタメ口である。
 ちなみにツトムとカタカナで書いて、本名である。

「大場と横川のおっさんが怪しい動きしてるの」
 吉岡はスタシオを見回した。「大場も横川もどこにもいないじゃん。どうなってる。
 でも今やってる番組、反響凄いよ。ツイッター、何千という反響だ」
「番組のことじゃないの。おっさんたちのことなのよ」
「あいつら、どこへ行ったんだ?」
「さっき、2人のケータイがほとんど同時に鳴って、飛び出して行ったっきり」
 吉岡はスタジオの端のチャチなセットで討論しているメンバーをじっと眺め、そして西原に視線を戻した。口に空気を溜め、フグのような顔をしたまま、間を置いた。
「まさかな。へー。ここだったのか。今かよ。ほー。来月くらいと思ってたんだが」
「何がまさかなのよ! 事情、知ってるの?」
「亜紀ちゃんにも言おうと思ってたんだけどさ。もうすぐ、NTVジャパンはクラウドミュージックに吸収される」
「さっきヒゲ夫さんから聞いた。ばか! なんでもっと早く言ってくれないのよ!」
「知らなかったのか? 社長にも聞いてないのか?」
「全然聞いてないわよ、ばか!」
「何がバカだ。俺も、ヒゲ夫もコロ助も、太田も中川も、電話番のミキちゃんも、みんな、おそらくクビだ。おまえは社長の娘じゃないかよ。俺らはあんたとは全然違う状況に追い込まれるんだ。
 しかしのんびり仕事してる場合じゃねえなあ。さっさと就職活動始めないと」
「ちょっと待ってよ。バカにしないで。みんながクビになったら、私もこの業界辞める」
「とか言っちゃって、クラウドからいい仕事をお父様が紹介してくれたら、さっさとそっちに行くんだろ」
「ツトムちゃんはさっさと今の仕事に戻って。もうアテにしない。私と村田さんでどうにかする。他のみんなにも話しする」

 そういえば週に2回は一緒に遊んでいた、事務の藤田未来(みき)が最近になって妙によそよそしいと思っていた。
 横川ディレクターと大場プロデューサーは、クラウドに移籍をしようとでも思っているのだろう。
 自分はあいつらにはついていかない。
 しかし、そういう計画があるにしても、今日、今の今、オンエア中の番組を放っぽり出して、横川と大場が慌てているのはなぜなのか。
「...ごめん、亜紀ちゃん、怒った? 知らなかったのなら、」
 吉岡が西原の顔をのぞき込んでいた。
「モニター、見ていてちょうだい。曲テロップもお願い。曲が変わったらF6キー」 西原は吉岡を無視して、走った。


 3階、社長室に亜紀は駆け込んだ。
 社長室とは名ばかりで、部屋の半分は物置のようになっている。
「父さんは?」
 中にはクチビルゲと呼ばれている、赤川里美がいた。
「会社では父さんって呼ばないように、言われてるんじゃなかった?」 前のガラステーブルに細い瓶をいくつも立て、赤川は爪に色々と塗っている。
 社長の妻、亜紀の母親は、亜紀が高校生の頃に病気で死んだ。赤川は内縁の妻というやつで、母が死んだ直後といってもいいくらいの時期から、ずっと社長にくっついている。
 父と赤川はずっと一緒に暮らしているが、亜紀とは暮らしたことはない。亜紀は赤川が大嫌いだった。
 いつ見ても、分厚い唇。父のいる前では母親気取りなのか、亜紀の生活に注意を垂れ、父がいないところでは、こうして偉そうに足を組んで、ネイルの真っ最中。
 60近い年齢だろうに、若い女性のあこがれの香水をいつもつけている。話したくないし、顔も見たくない。
「父さん、いないの?」
「昨日から九州まで、買い付けに出かけてるわよ」
「いつ帰ってくるの?」
「温泉にでも浸かって帰ってくるんじゃないかしら」
 買い付け。
 CD化されていない歌謡曲のレコード盤を求めて、父はよく地方の店に出かける。そういう歌謡曲を流す専門の番組が、2週間に1度の割合である。
 ネットオークションも日常的に利用しているようだが、地方の個人経営の中古品屋、フリーマーケットなどではオークションなど馬鹿らしくなるくらいの、大量の収穫があるそうだ。

「ボケッと立ってないで、あんた、仕事中じゃないの?」
「......」
 亜紀が思うに、横川と大場の様子から、今から何かが起こる。ひょっとしたら、今日がクラウドによるNTV乗っ取り、その日かもしれない。
 父とて趣味で仕事をしているわけではない。のんびり地方に旅行へなど行っているはずがない。
 亜紀はくるっと反転し、開いたままのドアをすり抜けるようにして出た。そして、後ろ足で蹴るようにドアを閉めた。これをやると、いつもクチビルゲが怒る。
 亜紀はすぐに父親に電話をした。

「なんだ亜紀?」 すぐに父親は出た。
「オンエア中の番組、ほっぽり出して、横川さんと大場さんが出て行っちゃったの」
「放送、放ったらかしてか!?」
「そうなの。ね、父さん今どこ」
「村田と吉岡がいるだろう。今日の生録は全員素人のゲストさんが話す討論会みたいなもんだろ? なんか揉めてるのか?」
「知らないの?」
「何がだ」
「父さん、今どこよ。都内?」
「いんや。今日は熊本だ。熊本。九州。大きなフリーマーケットがある」
「よくも私に黙ってたわね。赤川のおばさんも協力してるのよね?」
「何の話だ。わけがわからんぞ」
「母ちゃんの家にお金出してもらって、局作って、ずっと社長さん、やるんじゃなかったの? なに? 会社売っちゃって、結局、役員報酬とかでのんびり食べていくつもり? もう私は仕事、辞めるから。いや。もう父さんの娘、辞めます」
「おいおい、本当に何の話だ。何怒ってるんだ」
「クラウドミュージックよ! NTVはなくなっちゃうんでしょ」
「おまえ、頭大丈夫か?」
「何よ!」
「なによ、じゃない。何があったのか、ちゃんと説明しなさい」
「本当に、父さん知らないの? クラウドに、NTVが吸収されちゃうのよ。みんな、そう言ってる。ツトムちゃんなんか、クビになるから次の仕事先探すって言ってた。どうなってるのよ!」
「うるさいなあー。きいきい。吉岡、そこにいるのか?」
「呼ぼうか? 今私の代わりにモニターチェックしてくれてる」
「横川は? 大場は? スタジオにいないのか?」
「だから、どこかに出て行っちゃったって言ってるじゃない」
「...わかった。呼ばないでいい。俺からあいつらに電話してみる。おまえはモニターチェックに戻りなさい。今の仕事を手抜きなく、やるんだ。わかったね」
 社長の声は、今さっきまでのすっとぼけたものから、反論を許さない父親の声になっていた。

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