第13章

 若干の席替えがあった。もっとも席は最初から決まってはいなかったが、先ほどの位置から、三上と高井が交代した。黒田はホワイトボードに遮られ、その向こう側にいる。
 ホワイトボードを挟んで、黒田と高井が隣り合わせに座っている。
 高井は何を考えているのか。
 笑い、共感、ほのぼの、その繰り返しで番組を終えたい。邪魔な黒田はみんなで無視すればいいのに。
 まだひと波乱、ふた波乱あるのか。やめてほしい。

「ここからはしばらく、これが鳴ったら空気はすべて80年代という、今においても有名な、名曲の数々を流します。例によって全部流す曲もあれば、フェイドアウトさせるのもありますので、みなさんは思い出などを語っていただければ嬉しいと思います。では」


https://www.youtube.com/watch?v=Haypxj24_Uw
 ★ 

 三上が最初に反応した。「80年代音楽の教科書ね。あたしね、Cの右上のチョンだとか、ノイズのseじゃなくてzeとか、なんでだー、って高校の先生に訊いたの。そしたら先生、悩んじゃって、図書館まで行って調べてきて、わかりました本木さん、あ、本木ってのはあたしの旧姓ね、本木さん、これはスコットランドの方言で!他にもこういう書き方があるんですよ、って」
「原曲がスレイドってのを先生は知らなかったんだ?」 名倉。
「英語が学問だった頃の話だからね。洋楽なんて、言葉が汚いし、間違ってるから、聞くな、なんて先生もいたわね」
「ところで、この曲は一度、イギリスで大ヒットした曲なんですけど、世界的に大ヒットさせたのがクワイエット・ライオットでした。色が違った。原曲はスコットランド式パーティーロック、そしてこっちは80年代ロックバブル真っ最中のテーマ曲」
「ケヴィン、っていうあだ名の奴がいました」 名倉が笑いながら言った。「顔が、一緒なんです」
「わはは。なんかこう、贅肉ついてないのに、骨格がでかいというのか、大きくて、カクカクの顔。80年代シンガーは美形よりもこっち系の、派手顔のシンガーが多かった気がしますね」
「しかしこうして大きな音で聞くと、パーティーロックも意外にメタルサウンド、鋼鉄音ですよね」
「まさに」
「女子供のお遊びパーティーロックを、80年代メタルの中に入れるかどうかが問題だ」 黒田ではない。高井が言った。「ですよねー、黒田さん」
 ホワイトボードを高井はノックする。テレビに顔が映っていない黒田が太い声で答える。
「売れたのは間違いないが、この馬鹿が咲いたお祭りロック、誰が跡を継いだんだ? 広い視点で見て、このバンドは一発屋だ」
「ありゃりゃ、80年代博士の黒田さんらしからぬ間違いですな」 大須川は口をへの字に結んだ。「クワイエット・ライオットはポール・ショーティノというソウルフルな歌唱力を誇るボーカリストを加入させ、再活動を果たしています。
 最近じゃないですよ。88年か89年。あのアルバムもかなり売れたはずなんですがねー」
「人の発言の揚げ足を取って、幸せかね。馬鹿が咲いたようなポップスを80年代メタルの中に入れるのは変だ、と俺は言ってるんだよ」
「ふっとい声で、俺、俺と。Vシネマか何かに出てる怖い人みたいですな。50過ぎてるんでしょ? 俺じゃなくて、私と言いなさい」
「ハゲに言われたかないな」
 かなりムカッときたが、大須川は抑えた。
「音楽と書いて、音を楽しむと書きます。今の音楽でも昔の音楽でも、音を楽しむ人間が勝ちなんです。永遠不滅の真理でございます。クワイエット・ライオット万歳。
 ほんと、全然クワイエットじゃなかったバンドでしたけどね。
 では次」


https://www.youtube.com/watch?v=ELum-_dueXY
 ★ 

「うわぁ。番組ラストに用意されてるとひそかに期待してたんですが、早くも登場ですか」 名倉が目を白黒させた。
「クワイエット・ライオットが80年代の陽、太陽の陽ですね。だとしたら、陰の先頭はこのバンド、この音でした。
 ちなみにアルバムは私の生涯聞いたメタルアルバムのベストアルバム、ベスト1です」
「間違ってたらごめんなさいね」 三上。
「70年代、オジーの暗黒メタルサウンド時代、そしてロニーの帝王サウンド時代、そして透明感あふれるメロディアスメタルのトニー・マーティン時代、そして今、再びレイドバックのオジー・サウンド。大きく分けて4つも時代がある。こうなりゃ、いついつ代表という存在を超えて、じいちゃんばあちゃんから孫まで聞いてる三世代メタルよね」
 いいことを言っていると思えば、大須川は最後でガクッとなった。
「この曲には80年代メタルのすべてが凝縮されています。リフ、歌、ソロ、途中でテンポチェンジしますが、疾走感も。
 そして世界トップクラスの演劇集団の出し物を見ている気にさせられる、舞台絵、音楽絵です。簡単に言うと部屋の空気が変わるってやつです。このアルバムはもちろんまっとうに名作として評価され、今でもメタラーのバイブルです。しかし、リリースされたのは1980年。
 ヘヴィ・メタルという音楽が生まれた年に、ここまでの完成品です。
 正統派メタルサウンドはもうこの時期、ブラック・サバスはじめベテランのバンドによって完成を見て、以降10年は模倣と飾りの時代だった。という少々意地悪な観方もできますね。
 名倉さんが心配なされるように、こんなに早く、歴史的名曲を出してどうするんだと思いますが、ご心配なく。最後まで退屈させない選曲が続くと自負しておりますので」
「さあ、どうだか」 黒田。「脈絡のない選曲、もうすでに視聴者も退屈しているに違いない。失敗じゃないか、この番組。いいや、あんたの司会が失敗だ。あんたのせいで失敗なんだよ」
「みなさん、こんな話をご存知ですか。
 人が集まれば、必ず性格が悪い人間がでしゃばります。なぜ空気を読まず無粋な発言を続けるのか。それは、そもそも根底に、人に認めて欲しいという感情があります。キャラが駄目なら、何を言っても駄目ということなどわかるもんですか。自分を認めさせてやるという気持ちだけは強いが、ごり押しの一徹で本当に周りが自分を認めてくれると思ってるんですよ。ストーカーみたいなものですね。困ったもんです。
 黒田、アンタのことだ」
「みんな、聞いたか? 今の大暴言!」
「聞くのは先に音楽ですわ。次の曲です」


http://www.youtube.com/watch?v=40nYZbX0uCM
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「...世界一、仰々しいイントロの曲だと申せましょう」
「すっごい、映画みたいだね。母ちゃんもよくこれ、聞いてたよ」 ボディーランゲージたっぷりに藤村が言う。
 真壁は右腕で頬杖をしながら聞き入っている。「たとえばさっきのアクセプトは男性ファン向け、クワイエット・ライオットは女性や子供ファン向け、でもこれは男性も女性もない、大人も子供もない、本当にユニバーサルな音だったと思います」
「世界の隅々まで届く音、って感じだもんね。確か、このアルバムくらいから日本のオリコンに洋楽のアルバムがちょくちょく顔を出すようになったんじゃなかったかな。外国も日本もなーんもない、ただただ大きい音だ」
「名倉さんのおっしゃる通り。さて、この音にどう難癖つけますか、あちらの遠い国の方は」
 大須川は意地悪そうな顔をしてホワイトボードの方向を見た。
 黒田は何も言わない
「...というふうに、これは世界のロックとして異論なしってとこですかね」
「いや、待ってください」 高井である。「確か、プログレの人たちの集まりだったと聞いてますが」
「それが?」
「大きな音でした。映画みたいな音でした。それは認めます。でも、これ、メタルですか? メタルサウンドですか? エイジアクラスの音なら、このケーブルテレビ局今月の特集80年代まるまるスペシャルで、他の番組がきっと、大特集してますよ」
「これ、おにいちゃん」 三上である。「この座談会はね、ファンの集まりなの。80年代メタル分析じゃないの。メタルファンの語りの場なの。メタルファンが認めた、よく聞いた、好きだったバンドの話をするのが目的だよね。そうじゃない、大須川さん?」
「はい、まあ」
「最初に言ってたみたいに、ライブの帰りの居酒屋トークって感じでやればいいのよ。そうだね、あたしはアニメタル大好きなんだけど、アニメタルの話で5時間盛り上がっても構わないのよ」
「ちょっと待ってください、音を数々用意してますので...」
「いいじゃない、車に戻ったらアニメタル積んでるから、ここでかけたって」
「だから、ファンが馬鹿だと思われる」 高井。
「え? 今なんて言った、おにいちゃん?」
 いけない。
 三上が本気で怒りはじめた。
「僕だって、評論家たちが作った、偏差値の高いバンドがずらっと並ぶ音楽論は好きじゃない。
 しかし、ファンの間でも評論家たちと同等の深い話、ファン視点の心理、真実を見つけるという流れを作らなければならない。でなければ、討論する意味がない。
 居酒屋トークですか? それは居酒屋でやっておればいいのであって。俺、居酒屋は嫌いですし」
「おいおい、高井君、ファン同士揉めるようなことを言っちゃいけないよ」 ボードの向こうから、ふざけた言葉を黒田が飛ばした。
「三上さん、怒らないでやってください。彼は根が真面目なだけなんです。彼にとって持論の主張が一番大事なのであって、若い故、それが年長者を怒らせてしまうということに気付かない。
 いや、気付いていてもいつも同じ展開になってしまう。三上さんも若い頃のことを思い出してくださいよ」
「あたしは、真面目真っ直ぐ君じゃなかったけどね。楽しそうな音を聞いてただけ。ねえ、もちょっと、発言に気をつけようよ。ねえ、名倉さんっ。そう思わない?」
「そうです。白熱する議論は結構ですが、人を不快にさせてはいけないです」
「名倉さんが司会、やっちゃいなよ。あたしは、応援するよ」
 変なトーンで強調された、あ、た、し、はー、という言葉に名倉が当惑ではなく、恐怖の表情を一瞬浮かべたのを大須川は見た。
「という意見です、名倉さん、交代しましょうか?」 大須川は少々ふてくされて言った。
「ジャッジ、藤村さん!」 名倉が叫ぶ。
「えーと、わたしはー、なんで、みんな、怒ったり、慌てたりしてるのかなーって思うよ。
 海賊ちゃんはね、一生懸命、今日の用意をしてきたんだよ。みんな、ちゃんと聞いて、話をしなきゃダメだとわたしは思うよ」
「みなさん、先ほどの言葉を繰り返させていただきます。
 この中で一番若い人が、一番場の空気を読んでいる。流れを戻しませんか。言っても無駄な人が1人いますが、相手をしないでください。ちゃんと進めましょう。
 名曲よ、この険悪な空気を変えてくれ。
 次はこれです」


https://www.youtube.com/watch?v=Wsp_iIBLoug
 ★ 

 三上がひとりで拍手をした。
「ファーストアルバムとセカンドアルバム、日本だけでバカ売れしたアルバムです。本国ドイツよりもたくさん、日本で売れたそうです。
 三上さん、マイケル・シェンカーはなぜ日本であれだけ受けたんでしょうかね。今でも多大な人気があります。日本という国がなければマイケル・シェンカーはとっくの昔に死んでいたでしょう」
「あたしは今でも大好きですよ。そうだわね、マイケルよりルックスいいミュージシャンはたくさんいたし、マイケルだけがメタルだとは誰も思ってなかったんだけど、でも女子も男子もマイケル命、クラスに4人はいたわね。なんででしょうね。
 ...適度にかっこよくて、適度にとんがってて、適度に名曲あって、何でも適度、ってとこがよかったのかな。唐突にメロディアス、っていう展開もすごいと思う。見てても聞いてても、何年立っても飽きない唯一のミュージシャンだわ。今でも毎年必ず来日するけど、あたし全部行ってる」
「私の友人で、中島みゆきを30年ずっと毎日聞いていて、関西圏のコンサートはひとつ残らずすべて制覇している男、というのがいます。私などは雑食性で、特定のミュージシャン、バンドをそれだけ長い間応援し続けたという経験がありません」
「そんな、暗い邦楽と一緒にされちゃあ」 三上はパタパタと手を動かした。
「いやいや、中島みゆきは暗くないですよ。何言ってるんですか。長年のファン心理について知りたいんです」
「好きだから。それだけよ」
「真壁さん、ずっと応援してるミュージシャンは...メタリカですよね」
「はい。毎日とは行きませんが、20年以上ずっと手元にあります」
「好きだから、それだけ、ということですか?」
「うーん、そうですね。もちろん好きには違いないんですが、曲がいろんな顔を持って見えてくるというか。わかりにくいですね。ごめんなさい。
 こっちの気分がハッピーなとき、塞いでるとき、同じ曲が違うように聞こえるんです。だからいつも、手元に置きたいんです。
 メンバーに対しては、確かにコンサートは全部行きましたけど、あ、フェスはお金高いから行ってません。メンバーのキャラ以上に、曲、アルバム、作品が前にあります」
「なるほど。それはしかし音楽に限らず、アート方面でも同じことを言う人たちが多くいます。
 造った人の人間性は二の次で、作品が好きなのだ、と。作品に込められたその人の情念が好きなのであって、実際のアーティスト本人は雑多なものが混じりすぎて、あまり興味がないとか」
「あたしがミーハーだってこと?」
「ミーハーって言葉も懐かしい」
「少し、あたしのこと馬鹿にしてない?」
「とんでもないです」
 何かにつけ、三上は軽い。言葉だけを取れば藤村のほうが余程軽いが、年齢相応の話し方というものがある。三上はバランスを欠いている。だから人間まで軽く見える。
 不協和音を煽る黒田に、司会者である自分にとって苦手な反応をする三上もまた、進行の邪魔をしそうだ。
 弱々しく笑う大須川だった。
「では、この曲も有名ですね、次」


http://www.youtube.com/watch?v=ap2J9RbXaP4
 ★ 

「このアルバム以前にすでに脱ハードロック路線を打ち出してましたが、ここまで言ったらもう、路線どころじゃなかったですね。この曲には爆風がありました」
「イェーイ、これいいね! 大好きだよ」 藤村。
「今でも通じるこのパワー。こんなバンドがいなかったら、80年代メタルそのものの存在感、全体が薄くなったかもしれない。
 どういうことかというと、90年代メタル、といってもみなさん、ぴんと来ますか?」
 真壁が即答した。「私は、90年代に一番メタルをたくさん聞いた世代ですけど、90年代メタルと言われても、90年代に流行ったメタルのことなんですね、と、それだけの印象しかないですね。
 80年代メタル、というと、なんか、大きな文化というか、固定の言い方、じゃなかった、大きな文化の固有名詞という気がします。ごめんなさい、うまく伝えられません」
「いえいえ、よくわかります」
「80年代メタル、80年代ロック、というと、2000円くらいの単行本なんです。でも90年代メタル、90年代ロックは500円くらいの文庫本です」
「今ので大変よくわかりました。まったく、真壁さんの言う通りです。本の表紙を分厚く、大きくしたのがこの曲だったと私は思います。
 ボーカルが同じ猿人ですけど、次」


https://www.youtube.com/watch?v=UtwBJycUihw

「ヤンキー・ローズのほうがより多くの洋楽ファンが知っていると思うんですが、私が心底びびったのはこの曲です」
 名倉が大きくうなずく。「この時期のスティーヴ・ヴァイはホントにスリリングな音、出してましたよね。いや、90年代にソロで名盤を出してましたが、私はギター弾かないのでよくわからないんです」
「えー、なんでヤンキーローズじゃないのー。この曲、忙しくってあんまり好きじゃなかったなあ」
「三上さん、バックの演奏が凄いと思いません? よく聞いてみてください」
「...ベースが確か、あの人ね、ミスター・ビッグの」
「ビリー・シーンです」
「凄いバトルね。バトル演奏よね」
「三つ巴です。ボーカルも煽ってるような感じ、しませんか?」
「あたしね、当時はレンタルレコードのヘビーユーザーだったから。目玉曲しか聞いてない、ってところは反省します」
 腕を組んで、右へ、左へと歩くのは、大須川の癖である。「デイヴィッド・リー・ロスというヴァン・ヘイレンの、いや、アメリカンロックのフロントマンが、メイド・イン・メタルの爆発力を実践したところが素晴らしいと思うんです。
 そして当時、これから世界に打って出るという勢いを秘めていた2人のミュージシャンをこれ以上ない、最高の形でパフォーマンスさせた。ライブアルバムじゃなくて、スタジオアルバムで」
「はーい、間違い指摘」 黒田。
「デイヴィッド・リー・ロスが凄かったわけでも何でもないよ。ヴァイとシーンを売り出そうとしたのはレコード会社の方針だ」
 大須川は無視する。
「ヴァイとシーンの取っ組み合いの喧嘩に、負けてならじと暴れるこの歌。
 オバQとか、昔の漫画のケンカの場面のように、もくもくと煙が立って、そこから足やら手やら、犬や猫まで飛び出してくるという漫画的な騒々しさが、素晴らしいと思います」
「すぐに音楽と関係のないもので喩える。評論家失格。司会失格!」
「プロの技のバトル。私は当時、メキシコのプロレスを思い出しましたが、私も評論家失格ですね。もっとも評論家の視点を持ったつもりなどないですけど」 笑顔の名倉。
「しかし音楽的観点、演奏的観点から、的の得た評価を欲しいものです」 冷めた高井の口調である。
「まったくその通りだ!」 ゴンゴンとホワイトボードを裏から叩く音が大須川の癇に障った。
「黒田のオッチャン、話し方嫌い。嫌がらせっていうんじゃないですかぁー?」
「フォローありがとうアビちゃん。でも、番組的にはこの方が面白いかもよ。
 私はね、広〜い心を持ってますから、意地悪な人に意地悪なことを言われても、なぁーんにも気にしません。大事なのはこの番組の成功、それだけです」
 本当は黒田をホワイトボードごと蹴り倒し、窓の外へ投げてやりたいくらいだったが。
「明るいアメリカンメタルが続いた後で、さてアメリカンメタル典型よりももっと明るい、当時はポップメタル、なんて言われた曲を4曲ほど続けて流します。
 ポップスじゃなくて、ポップ・メタル。メタルらしさがどこにあったのか、探すのも面白いと思います。
 ではこの曲から」


http://www.youtube.com/watch?v=1w7OgIMMRc4
 ★ 

「このバンドをポップ・メタルと呼ぶのは異論があると思いますけど、ポップの元の言葉はポピュラーであり、そしてこのバンドは80年代トップクラスのポピュラーバンドになったんですから、広い解釈で、ポップメタルという解釈で進めさせていただきます」
 真壁が小さく挙手をする。もはや誰も挙手などせずスケズケとしゃべる空気になっているのに、真壁はあくまで礼儀正しい。
 すこしあごを引き、目を丸くし、ちょん、と片手を挙げる仕草。
 大須川はたまらなかった。
「みなさん、2008年の、スタジオアルバムとしておよそ15年ぶりの"CHINESE DEMOCRACY"、どう思われました?」
 視線を向けられた名倉がまず答える。「ならではの味、いまだ死なず、ってとこで安心したかな。アクセル1人になってもちゃんとGUNSの音出してるじゃん、って」
「あたしはもう、1000回聞いたわねえ。ついでに昔のアルバムも全部買い直しちゃった。車の中に積んでると、CDってすぐに傷だらけになるからねえ」
「GUNSさんごめんなさい、わたし、AMAZONの中古盤で1円で買ったの」 なぜか藤村が大須川に対して手を合わせた。
「1円!」
「送料入れて300円くらいかな。わたし、そうやって、過去の名盤ってのを揃えていってるの。ごめんね」
「1円が、妥当ってとこですかね。Jロックならぬ、Aロック化した消費専用のつまらない音だと思いましたね」
 大須川が吹き出す。「高井くん、アメリカンロックだからAロック? きみらしくない、割とスベってますよ。そんな呼び方、そんなジャンルはありません」
 高井はそっぽを向く。
「私はあのアルバム、2008年ベストアルバムでした。期待はしてなかったんですよ。アクセル1人だけですから。
 実際は1人の作業ではなかったでしょうけど、アクセルがGUNSという国代表のバンドの音を見事に再現したのみならず、曲も名曲そろいで、おっさんなんでそんなに若い?という、熱唱に次ぐ熱唱、絶唱のオンパレード。
 力いっぱい胸いっぱいのアルバムでありながら暑苦しくなく、消費専用と見るファンにも耳通りの良い音であるところが、ほんと、100%GUNS'N ROSESだったじゃないですか」
「黒田さんはどう思われるんですか?」 大須川ではなく真壁が訊いた。
「80年代の遺産で儲け続けた豪邸でごゆっくりと、気の遠くなるような時間をかけて作ったアルバムなんだから、ファンなら納得行くアルバムが出来て当たり前。女子供専用。ディズニーランドのパレードで並んで踊る大人の神経が、残念ながら私にはわからないな」
「あの、黒田さん、私、さっきから思ってるんですけど、黒田さんって、本当にアルバム、ちゃんと聞いてるんですか? ここで流れてる曲、黒田さん、実は知らないんじゃないかなって、私思ってるんです」
「なにっ!」
 姿は見えねども、ホワイトボードの向こうで真っ赤になって怒っている黒田の様子が、手に取るようにわかる。
「私は、じゃあ黒田さんの言葉を借用させていただきますが、 気の遠くなるような時間をかけて作ったアルバム、って、最近何かありましたか。
 待ちに待って、待ちすぎてもう忘れちゃったころに出たアルバムですけど、私は大須川さんと同じく、感動しました。その勇姿にではなくて、曲の素晴らしさに、です。ですよね、大須川さん」
「3曲目”Better”と4曲目”Street of Dreams”の連続、洋楽が好きでホントに良かったなぁー、とひしひし、しみじみ思いました」
 真壁は最高の笑顔で大須川を見た。
「さて、次の曲です」


http://www.youtube.com/watch?v=yxUYn1xTp-4
 ★ 

「これは知らない人が半分くらいおられるかもしれません。原曲はカナダの80年代ハードポップバンド、ラヴァーボーイの曲ですが、原曲よりも跳ねたカバーで、この曲は素晴らしい。
 実はこれよりすごいオリジナル曲があって、House of Ecstacyという曲ですが、それは私、レコード盤しか持っておらず、音質が悪かったので泣く泣く外しました。
 跳ねてますよねえ、ホントに。
 80年代後半から90年代にかけて、ロックンロールブーム、ロックンロール・メタルブームが到来し、数多くのバンドが目も当てられない駄作を次々出しました。
 というのは私の偏見ですけど、バリエーションの数の少ない音楽スタイルは、流行になっても新しいパターンは出てきません。ロックンロールブームも、最初に注目されたバンドのグレード、つまりブーム幕開けの名曲のレベルを誰も超えることができずに、終息しました。
 でもブームなど、そりゃなんだを言い放つのがこの音です。この音はジャンル関係なしに、先頭で光ってましたね。ジャンル以前に曲がすべてです。本来ならハノイ・ロックスを持ってくるのが筋かもしれませんが、私はこっちのほうが断然好きでして」
「あーあ、だんだんメタルから離れていくんじゃねえのかー」 黒田の太い声。姿は見えないのに、スタジオ全体を覆う黒雲のような存在感である。
「このバンドはザ・チェリー・ボムズ、といいまして、ボムズのズはSじゃなくてZです。
 こんなど派手で、どうしようもない曲が1986年。
 なんかこう、この1曲、3分あまりの中にロックンロールメタルバンドの栄枯盛衰すべてが込められているような気が私にはします。この女性ボーカルの人なんか、どこ行っちゃったんでしょうね。素晴らしい逸材だと当時は思いましたが。あれ、どうしたの?」
 藤村が肩でも凝ったのか、妙な動きをしている。そして立ち上がった。
「踊りたいですぅー! サイコー過ぎ、この曲!」
「あははは。踊れ踊れ」 名倉が肩を揺らし、足を鳴らした。また三上が、粘っこい視線で名倉を見ている。
 踊るのには老若男女、最適の曲である。しかし自分が踊れば、タコ踊りになる。大須川は、何をしてもサマになる名倉を羨ましく思った。
「そして、ポップメタルといえば、このバンドを忘れるわけにはいきません」


http://www.youtube.com/watch?v=alKM2Y1XxWU
 ★ 

 黒田を除く全員が三上を見た。
「まあ、アラフォー世代の女子ならみんな聞いてたんだろうけどね」
 フォーではないと大須川は思う。しかし言わない。絶対言わない。
「キッスのほうが何10倍、ポップで派手だったじゃない。あたしはあんまり聞かなかったかなあ」
「今三上さんがおっしゃった、キッスのほうが何10倍も派手でポップだった。というお言葉。
 まったくその通りで、比較して聞けば、この音は随分と地味です。写真だけでわかる格好、そしてライブ映像で、アメリカのファンの度肝を抜いた、というのは事実でしょうが、派手でーす、俺らアッホでーす、と格好から語るその裏で、実は今流れている曲のように、何ともセンチメンタルな、一生懸命な曲も持っていたというところが、私は実は、好きなんでありまして」
「あのー。80年代メタルの総括で、ファッション系は除けたほうがいいと思うんですが。ファッション系にもいいバンドがいるとは思うんですが、そういうバンドはいつの時代でも同じ音を出しています。80年代にしかなかったというレジェンドの音と解説を俺は期待します」 真っ直ぐに高井は大須川を睨む。
 パン、パンと柏手(かしわで)を打つようなやかましい音がホワイトボードの向こうから。
「そういう正しい意見を期待するね! 高井くん、もっと意見をくれ。八方美人な解説しかできない人間を引きずり落としてやれ!」
 大須川は黒田を無視して高井を睨む。
「曲を誉める言葉に反論するなら、正しますよ。それに今の時間は、君は期待する立場じゃない。進んで発言する場なんだ、ここは。
 わからないのなら、その間は黙っていることを薦める。この曲が80年代の名曲であることは、正直、若造の君にはわからない部分もあって当然だろう。じっくり聞いてから、意見を言いなさい。だったら、私は聞くから」
「上から目線ですよね、今大須川さん。いっそのこと、俺もボードの向こうへ追いやりますか?」
「そんなことはしないよ」
 名倉はいまだ気配りを忘れないようである。「そういえばさ、ポイズンって、唇がすごかったよね。いつ何時でも、唇を突き出していたような気がする。そんな写真しかなかったんじゃないかな」
「あっははは、なにそれー!」
「こういう人たちだよ」 スマートホンで瞬間的に検索した名倉は、メンバーショットを藤村に見せた。
「きゃははは、オカマバーみたいな人たちだね! あはは、みんなチューだ」
「でもアビちゃん、この音なんです」 大須川が宙を指で指す。
 藤村は笑うのをやめ、うなずいた。「真面目な音だよね。格好と音、人間性っていうの? それが格好と音のどっちに出るかといったら、わたしは音だと思うな。なんか、カワイイコーラス!」
「...次。この人たちの見かけも、相当なものがありました」


http://www.youtube.com/watch?v=m2amKXUZThA
 ★ 

「...トゥイステッド・シスターが出てくるのかと思いました。しかし懐かしい」
「わははは」
「ボーカルの人、性同一性障害だったんじゃない?」 三上がアホなことを言い出す。
「仮に、そうだとしましょう。ではそんな個性を活かしきった名曲の数々に私は拍手を送りたいです。私の昔の友人は言いました。こんなに綺麗なメタルは生まれて初めて聞いたと。
 誉める人の表現が一番当たっている、というのが私の考え方でしてね。音楽については。私は当時、ゴリゴリの爆裂スラッシュメタルも大好きながら、当時は隠れてこっそりストライパーを聞いてました。
 ちなみに今現在もストライパーは新作を出しており、ソロでも頑張っているマイケル・スイートはかっこいいおっさんになってますよ」
「天使のメタル、って感じだね」
「アビちゃんのその言葉、ストライパーのメンバーに聞かせてあげたいです。
 それもそのはずで、クリスチャン・メタルバンドとして成功した歴史初のバンドなんです」
「クリスチャンメタル?」
「当時は面白かった。ステージで聖書を投げるんです。遊びじゃなくて、歌詞なども本気。
 仏教系の女子高が、コンサートへ言った女子学生を処分しただのしなかっただの、規律に厳しいミッション系の学校がこのバンドに限りコンサートに行くのを推薦しただの、真偽の程はわかりませんが、日本でもそれなりにセンセーショナルだったというバンドです」
 この曲のときにやめてほしい、黒田の太い声。「宗教と音楽を絡めた、本来やってはいけないことを堂々とおこなったバンドだ。そこを問うマスコミの連中に取った態度こそ、このバンドが、いかに世間知らずだったかを物語っている。音楽の質は知らないし、バンドの態度が態度だから、私をはじめ博学な人間は聞かない。ただし、音楽を宗教活動に利用したことがキリスト教で言うSIN、罪以上の罪だったんじゃないか。真似するバンドがいなくて本当に幸いだった」
 しかし大須川はしたり顔である。「馬鹿ですね、アンタ。SINは原罪、生まれてきたことそのものが罪とされる考え方ですよ。人に絡む前に勉強しときなさいよ。オジーのUltimate Sinを100万回聞いてきなさい。
 それ以前にね、黒田さん。クリスチャン・デスメタル、というジャンルが今あるの、知ってます?」
 真壁がぶっと笑った。
「あんたが勝手に作った言葉なんじゃないのか?」
「いんや。クリスチャン・デスメタルならぬ、クリスチャン・ダーク・スラッシュバンドと自ら名乗るBELIEVERというバンドが80年代、すでに存在していました。
 90年代以降今に至るまで、マイナーではありますが、クリスチャン・デスを名乗るバンドがアメリカにはチョロチョロいるんです。そういう名前のバンドもいたくらいです。
 それに、ストライパーは途中、宗教色を一切潜め、黒ずくめの姿になったことがありました。そしてアルバムが全然売れなかったという皮肉。
 アメリカ人にとって、クリスチャンであるということは、別に敬虔な宗教家であるということを意味しません。それは一部です。キリスト教というものは日曜教会などでも有名なように、道徳、生き方を教える場でありまして。だよね、アビちゃん」
「はあい。ビンゴです」
「クリスチャンメタル、イコール道徳メタル。本当にきれいなきれいな曲です。
 しかしマイケル・スイートは一時太ってしまって、そのときはオカマ・バーみたいな顔ではありました。
 さてポップメタルコーナーの最後は、この曲です」


https://www.youtube.com/watch?v=FN838jTO1wQ
 ★ 

「もっとメタルらしい曲もあるんですけど、この人の個性一番ということで」
「うわー、すっごい80年代って音...」
「三上さんは、お母さんですよね?」
「はい」
「息子さん、娘さん?」
「両方います」
「息子さんが小学生のころ、アリス・クーパーを聞いてたら、どうしましたか?」
「実際、聞いてたんじゃないかな。娘なんか今はJポップばっかり聞いてるけど、小さいときは私が80年代メタル歌って、横でよく歌ってました。アリス・クーパーの声って独特だけど、歌いやすい曲が多いのよね」
「アメリカ人の知り合いに私、アリス・クーパーのCDを持っていて、笑われたことがあったんです。
 そいつは音楽ファンじゃなかったですが、良識ある大人からしたら、こんなものは不健全な、子供用のアイテムだと言われました。
 アメリカの普通の家で、例えば子供、特に男の子がホラー・ヒーロー、ジェイソンやフレディーの真似をしたら、お母さんが怒るんですって。
 私は考察しました。
 はしたない話ですけど、日本では、子供が母親に怒られるといえば、うんこの歌です。下(しも)関係が子供がやたら好きで、実際そういうギャグマンガが私の時代にはたくさんあって。私など何度、母親にしばかれたかわかりません。
 アビちゃん、どうなのかな? 私が思うに、アメリカではホラー・ヒーローなるものが、子供の正常な精神の発育を妨げるものとして親連中に解釈されている、と思うんだけど」
「アメリカの子供もプゥプゥとか好きですよ。でもごはんのときに言ったらまず、お尻ぶたれますね。それに、映画にもよく出てくるみたいに、4文字言葉は絶対の厳禁だよ。
 アメリカは、子供がホラー映画観ようと思っても、まず見られないのね。ケーブルじゃないテレビだったらホラーは絶対やらないし、ケーブルだったらねー、えーと、ホラー映画専門のチャンネルもあったりするけど、親は絶対に見せない。見せたら虐待だよ。
 なのにね、ジェイソンのホッケーマスクや、フレディーの爪、なんかが、チェーン店じゃない地元のおもちゃ屋さんなんかで売っててね、男の子はそういうの、めっちゃ好き」
「アリス・クーパーは30年40年、ホラーヒーローを演じています。今のリスナーにすれば随分と明るい音楽に聞こえるんでしょうが、曲はポップで空気はダーク、私などは、メタルファンが90歳になっても聞けるメタルサウンドだという気がしてるんですけど。
 全然、異議がないところを見ると、黒田のおっさんもアリス・クーパーは別格なんですなあ」
「大人げのないあんたとは違って、異議を挟む必要がない話では黙って話を聞いている」
「ずっとこのまま、黙っておってほしいと思う今日この頃です。
 では、ポップメタルコーナーが終わって、次は再び80年代メタル、王道の曲を続けて流します」


http://www.youtube.com/watch?v=_wY6i5vRlUU
 ★ 

 年輩者たちが、安堵と驚きを混ぜたような顔になる。
「この曲は反則でした。メタルバンドじゃないと思ってましたからね」
「寝ても醒めても聞いてましたね。PVなんか、ほんとに安っぽかったんですけど。今、こんな大きな音で聞いたら、やっぱり鋭い曲だ」
「名倉さん、年齢がばれますよ」 三上が笑う。
「もうばれてますって。小学校の音楽の先生が洋楽好きで、このキーボードの音を、当時廉価になっていたシンセサイザー、もうシンセサイザーって呼ばなかったかな、とにかくこの音を鳴らしてくれて、もう感動でした」
「あたしはね、塾の先生だったな。すっごい、おとなしそうな、仲間由紀恵みたいな人だったのよ。でも、バッリバリ、メタルが好きで、よくカセットテープに吹き込んでもらった」
「吹き込むって、その人のカラオケを聞かされるんですか?」 高井が訊いた。
「あはは。違う違う。レコードをカセットテープに録音することを、吹き込む、って言ったのよ」
「私らおっさんの世代でも、名倉さんの音楽の先生、三上さんの塾の先生みたいに、メタル、洋楽の素晴らしさを教えてくれた人、ってのが必ずいますよね。アビちゃんの場合は、お母さんだったよね」
「うん、母ちゃんだよ」
「真壁さんは?」
「今一緒に暮らしてる、実の姉もいるんですが、昔から実の姉は呼び捨てで、おねえちゃんおねえちゃんと慕ってたのは、従姉妹です。いっぱいいっぱい、メタル、洋楽、教えてもらいました」
「高井くんの場合は?」
「別に。誰もいませんね。強いて言えば、人間ではないですが、you tubeや、ダウンロードサイトが先生でした」
「なるほど。で、黒田のおっさんにもお伺いしましょうか。黒田さんの場合は?」
「好きな音楽は自分から進んで聞くもんだから、誰が先生とかそういう暑苦しい考え方は鬱陶しい。誰が何を聞かせてくれても、カセットテープなりレコードなり、今はCDなり、金を買って買うのは自分だからな」
 そういうあんたが一番暑苦しい、と大須川はホワイトボードに書いた。
 向こう側にいる黒田には当然見えない。全員が下を向いて笑う。
 座りながら伸びをする姿勢で、高井が言った。
「黒田さん、今、大須川さんが、『そういうあんたが一番暑苦しい』とボードに書いてます」
 大須川はこけそうになった。
「高井くん、何故に君はそんなチクリみたいな真似を!」
 高井は返事をしない。
 黒田が怒ってこっちに出てくるものかと思っていたが、黒田は何も言わなかった。
「...ジャーニーはアメリカンロックの代表だけど、アメリカンメタルの代表だとは誰も思わない。
 でもこの曲、結構メタルですよね。メタルに聞こえたら、メタルだと思ったら、それがメタルだった。そういう自由奔放な解釈もまた、80年代メタルの素晴らしいところなんです」
「ヴェノム、レイブン、エキサイター、レイザー、ポピュラーロックへの反発からはじまったのが80年代メタルの真髄だ。よくもまあそんな天下太平な寝言を」
「今、どこかからまた、太い屁の音が聞こえましたね。皆さんは気にしないように。次」


http://www.youtube.com/watch?v=a1hYdDWFMiQ
 ★ 

「おお、これか」 いつも最初にわかりやすい反応をしてくれる名倉に、司会者である大須川は大いに助かっている。
「この大御所も、メタルと言い切るには抵抗がありますね。でもこのように、音はメタル以外の何物でもない、そんな曲もある」
「タラコくちびるの人だぁー」
 一同が笑う。
 何も考えていないようで、実際何も考えていないのかもしれないが、黒田(+高井)と大須川の間に走る険悪な空気をかき消すかのように、タイミングよく発言をするのが藤村である。
「私の解釈なんですけどね」 名倉。「70年代に、TOYS IN THE ATTICというアルバムがありますよね。日本タイトルが闇夜のヘヴィ・ロック。アルバムも傑作だったけどあのタイトルも傑作だった。
 音壁が動く、という表現がいつごろからか、普通になりましたけど、まさに音壁が動く、音の家が動く、私の趣味というか、育ちでは、エアロスミスは初めてのヘヴィ・メタルなんです」
「私の友人で、エアロスミスの音を『畳100枚返し』と表現した奴がいました。床をドーンと叩く力、または風圧、爆風。エアロスミスは70年代にすでに得意としていましたね」
「ねえねえ。あたしが思うにだよ、一番リスナーの数が多いバンドだと思う。エアロ聞かない人は、音楽そのものに興味がない人だよ」 三上。
「それも言えるかもしれませんね」
「同時に、長くバンドを続けていくことの問題性をも提示した」 黒田。
「ほう。どういうことです?」
「エアロスミスのアルバムが名作だと言えたのは、89年のアルバム”PUMP”が最後だ。以降のアルバムは、神通力がない。正直、力が落ちている。なんなら、そちらにいらっしゃる若い方に近年の曲と、今鳴ってる曲と聞き比べてもらったらいかがか」
「今は80年代の音を流す番組、やってるんですけどねぇー」
「アルマゲドンのテーマ曲なんか、あれも大抵昔の話だけど、名曲だったわよ。ピンクのジャケット、なんだっけ」
 名倉が三上に教える。「JUST PUSH PLAYですか」
「そうそう、それ。あのアルバムも、ものすごく売れたじゃない。2000年、過ぎてたよね?」
「あれが傑作? あんなもの、終わってる音ですよ。ガシャガシャとうるさいだけで」
「いいアルバムじゃない。あなた、もう耳が歳取ってるからつまんなく聞こえるだけじゃ?」 三上が怒っている。
 黒田と三上の衝突。
 それは番組の中断、中止を意味するかもしれない。まだ自分に食って掛かってくれたほうが番組としては進めようもある。大須川は嫌な予感がした。
「そのアルバムは知りませんが、近年のエアロにレジェンド感はあまり感じていません」 高井。
「だろ。要するに、波なんだよ、波。Jポップと一緒で、マスコミが波を作ると、今の人間はそれに必ず乗る。音楽だけではなく映画でも、テレビでも、何でもだ。みんな。なんでも、みんな。みんなJUST PUSH PLAYを聞いてるから、じゃあ私も聞こう、はい、洋楽のすべてがわかりましたー」 
 大須川はホワイトボードに、今度は黒田の似顔絵を描きはじめた。
 出演者たちはその似顔絵に注目しているのだが、黒田は見えないのでそれがわからず、全員が黙って自分の話を聴いていると勘違いしている。
 なおも黒田は続ける。
「みんなが聞くから。みんな、みんな。ディズニーランド化。内容がいいから売れるんじゃない。みんなが聞いてるから売れる。Jポップみたいになってしまったんだ、エアロスミスは。
 今風、軽い文化用のアイテムを作るようになってしまったところで、エアロスミスはもう終わったんだ。もうエアロスミスじゃない。オワロスミスになってしまったんだ」

 時間が止まった。
 曲も止まっていた。
 大須川の手が止まり、名倉も呆然となった。
 真壁は口を開けたまま固まっている。
 自分は何も悪くないのに、深海の底のような重い空気を全員が感じた。
 世界が終わったかのような静寂の後、地響きを錯覚するほどのシラケ具合。
 当然、その後に来るのは怒涛のような笑いである。
 ましてや、ホワイトボードには大須川が描きかけている黒田の似顔絵。
 最初に噴き出したのは藤村だった。

「何くすくす笑ってるんだ。私の言い分がそんなに面白いのか?」
 次はちくるなよ、と全員が高井を睨む。
 その高井も下を向いて笑っていた。
 大須川は、特にこういう場面は苦手中の苦手である。
 親戚の葬式で坊主のお経に声を出して笑い、放り出されたこともあるくらいだ。
 他のことを考えようとしても無駄である。
 三上すら、堅く口を閉ざし、肩をプルプル震わせていた。

 堅物そうに見える高井もこの手の場面には弱いらしく、顔が真っ赤になっている。
 その高井が邪念を払うためか、座ったまま、上半身を回した。体操の動きである。
 そのときに腕がホワイトボードに勢いよくぶつかり、右、左、たった2箇所で吊るしてあるように固定してある片方の留めの部分が外れ、どかん、と大きな音を立ててボードが床に落ちた。

 一番びっくりした、という表情の黒田。
 その横に、真横になった黒田の似顔絵。
 全員が堪えきれず、爆笑した。
 大須川ももはやこれまで、四つんばいになってのた打ち回った。

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