第18章

BGM
http://www.youtube.com/watch?v=GPv6NdKp1ks


「どこ行ってたんですか。どうなってるんですか。社長に連絡したら、驚いてましたよ。職務怠慢、職務放棄じゃないですか!」
 横川と大場は、西原亜紀を完全に子供扱いである。
「うまくやってるじゃないか。おまえもADとして成長したよ」
「そんなことは訊いてません。責任者がオンエア中に局を離れて、どこへ行ってたのか訊いてるんです!」
「うるっせえな、男おんな!」
 大場が早速キレた。
「何よ! 食パンマン!」
「おいおい、揉めるな揉めるな。西原君、全部任せてしまったのは悪かった」 横川がなだめる。「心細かっただろう。やっつけ仕事の番組とはいえ、ヒゲ夫と西原君の2人だけに任せたんだからな。ごくろうさん。後は俺らがやるから、君はもう帰っていい」
「帰るわけがないでしょ」
「あぁ?」
「この局はクラウドミュージックに吸収されるんでしょ? 社長にも全部、黙って。謀反、っていうんじゃない、こんなの」
「ふん。知ってるのか。あんたとヒゲ夫と吉岡以外はみんな俺にくっついてくる。そういうことになっている」
「社長が許すもんですか」
「安給料の使い捨て、何の仕事もできないADが社長になど、相手してもらえるはずがないだろう」
「へぇー。知らなかったんだ。っていうか私、あなたたちには言ってないし、父さんも言ってない。あたしの苗字、てーか、ちゃんとした名前、ご存知?」
「西原、おまえ...」
「えっ? ということはこの小娘...? 社長には遠縁の親戚で、つき合いはないからいいようにコキ使えって言われてたけど」
 2人は一瞬動揺したが、すぐに偉そうな顔に戻った。
「だったらそれがどうした。そもそもこの弱小CSテレビ局NTVの筆頭株主、誰だが知ってるのか?」
「横川さん、ちょっとそこまでは言わない方が...」 大場は横川の服を引っ張った。

 2人は西原から離れ、密談を始めた。
「なんだよ、あっち、まだ話、ついてないのか?」
「来月だったじゃないですか、予定は。女王様の暴走でいきなり今日になってしまったこと、お忘れですか。あっちはまだ話、全然ついてませんよ」
「だったらやっかいだな。そっちも今日、明日中に片づけるか。社長が戻ってくる前にな。社長はまた買い付け温泉旅行だ。3、4日戻ってこない」
「バッカじゃない」
「わっ」
 後ろからそっと近寄り、脚立の中段まで登り、西原はおもいっきり耳を近づけて2人の会話を聞いていた。
 脚立中段から、位置的に上から目線になった西原が言う。「ということは、クラウドがNTV吸収の際のネックになる株主問題についてだね。株主は当然、父さんだと思ってたけど...わかったぞ。筆頭株主は父さんじゃない。あんたたちの様子からして...筆頭株主は、赤川のおばちゃんだ」
「だったらどうした。おまえの言うことなど、赤川のオバハンが聞くもんか」
「もうすぐ父さん、戻ってくるよ」
「げっ!」
「げっ、て驚く人、初めて見た。すぐに父さんに知らせたわよ。安時給のADだと思って、気を抜いてたわね。ばーか」
「どっちみち、NTVはクラウドに吸収される。もう、なくなってしまうんだ。社長と娘がじたばた足掻いても、もう何も変わらないよ。
 いいか西原君、よく聞け。謀反なんてレベルじゃない。この会社が、もうなくなってしまうんだ」

 この会社が。なくなってしまう。

 西原は脚立から降り、黙ってしまった。
「はは。唇噛んでるのか、男おんな。賢く動いたもん勝ちなんだよ。さっさと帰れ!」
 スタジオの端は薄暗いため、はっきりと表情はわからないが、西原はものすごく悔しがっているように見えた。
 若いADにしてはやたらと我が強い。普通の局ならとっくにクビである。
 しかし西原はこれまで、横川の無茶な命令も何度となくこなしてきた。
 この局ではいわば、西原は横川の直属の部下である。
 西原は斜め下、床に視線を落としている。
 ほんの今までの強気な態度が嘘のようだ。今さら足掻いても何も変わらない、という言葉にショックを覚えたのか。
 西原の肩が少し震えているのが、横川にはわかった。
「もう少し賢く振る舞えば良かったんだよ! 最初からおまえみたいに頑固で何考えてるのかわからないような奴、仲間に入れないで正解だったわ! とっとと荷物畳んで帰れ! あ、そうか、お父さんに泣きつくか? あんたよりも、社長の方がわあわあ泣いたりしてな。ははは!」
「おい、いいかげんにしろ」 アホ面で西原を罵倒する大場を、横川は止めた。
 やっつけ仕事ばかりではあったが、中には気合いを込めて指示した番組もある。
 黙々と動いていた西原の姿を横川は思いだした。
「なあ、西原君。黙っていて悪かった」
「だって、だって、みんな、ずるいよ...」
 西原は泣いている。
「西原君の仕事ぶりは、俺が一番よく見ていた。そりゃ、反抗したこともあったね。何考えてんだこのADは、と思ったこともあった。
 でも、現在ではなくなったとされている徒弟関係、いや、難しいか、まあ、師匠と弟子の関係だ。君は、反抗的だが決して悪い弟子じゃなかった。
 だから、どうだ。西原君も、クラウドで働いてみるってのは? 1からスタート、そんなふうにならないように、便宜を図ってやる」
 まだ何か言いたそうな大場を横川は横目で睨んだ。
「私、仕事、辞めたくない。続けたい。父さんは、仕事中は身内でも何でもない、って言って、いつも冷たかった。私、もっと大きな仕事がしたい」
「だろ? 約束しよう」
「でも、やっぱり番組、放ったらかして出ていったのはどういうことですか? 細かいことですけど、私、何でも納得しないと前には進めません。そういう性格なんです、ごめんなさい」 西原はハンカチで目を拭った。
「番組ジャックだ。今やってる、80年代ヘビメタの番組、途中でカットして、クラウドの特番を入れる。無茶な話かもしれないが、もう準備が整っているんだ。
 協力、してくれるね?」
 西原はハンカチを動かす手を止めた。
「そんなこと、できるんですか?」
「君は心配しないでいい。君が心配なのは今の出演者のことと、視聴者のことだろ? 今、休憩してるのか? 出演者については、日当渡すんだから何の問題もない。視聴者については、大変な、嬉しいサプライズになる。おそらく、明日の一般ニュースでも報道されるかもしれない」
「クラウドの特番予告?」
「そうだ。NTVはクラウドの第2ステーションになる。
 その第2ステーションを全面指揮するのが」
 横川は勿体を付けた。
「あの、LEYNAだ」
 西原にとっても夢のような話だろう。
 10秒、20秒程度の沈黙は大人として受け入れてやろう。

 西原は、きっと顔を上げた。
 西原は泣いていなかった。
「それは驚きました、横川さん。LEYNAが、クラウドで12時間番組やってスベリまくってたあのLEYNAが、自分の局にしてしまう、ってことですか! へー。へ〜えぇ〜」
「なんだ西原、泣いてたんじゃなかったのか!」
「はい、嘘泣きです。ばーか。
 事情がよくわかりました。
 これはもう、私の最後の仕事として、何としてでも、男おんなと呼ばれるそのパワーをフル稼働して、全力で横川さん、大場さんを阻止します。
 今、モニター切っちゃいますか?
 どうぞどうぞ。クラウドじゃ、用意もできてるってことですよね?
 放送が今中断されても、私は絶対の絶対、黙ってませんから。父さんと一緒に、必ずリベンジします。そしてそのために、私は赤川のおばさんを母さん、って呼びますから。筆頭株主は絶対に動きません」
 一杯食わされた横川には言葉がなかった。
「横川さん、言わないでいいことをそうやって言っちゃうから」 大場の不機嫌な言葉が入る。
 さらに勢いに乗って西原は畳みかけた。
「いきなり放送切っちゃうなんて、そんな凝ったことしないでも、今すぐ、あっちで横川さんの口からしゃべったらどうですか。NTVはLEYNA専門チャンネルになります、って。ほら」
 西原はギャラリーが休憩中でがらんとしている、レコードジャケットの壁に挟まれたスペースを指差した。
「一本取られたな。警備員くらい雇っておくべきだった。どうせおまえとヒゲ夫が邪魔するんだろ」
「そうですね。吉岡さんもいますので」
「ほう、鉄腕アトムもおまえらに付いたか。
 今、放送スペースになってる壁。汚いレコードジャケットが貼りまくってあるあの壁だ。こっちに向いてる側、模造紙全部外すと、歌姫LEYNAのアップが出てくる。壁2枚ともだ。プランAは来月中川女史の紹介で、こっちでLEYNAの映像を流すという予定だった。
 しかし女王様は気分屋でな。俺らも今日、振り回されてるってわけだ。しかしそれもあと...」

 西原はもう横川の言葉を聞いていなかった。
 中川祐子が?
 自分が尊敬する中川もこいつらの計画に参加している?
 信じたくはなかったが、今日、連絡もなしに中川は1時間以上も遅刻している。こんなことは初めてである。
 西原はもういっぱいいっぱいだった。

 そこで、電話番というニックネームの、西原の友人でもある藤田未来が、荷物を抱えてスタジオに入ってきた。
「あの、バイク便です...」 藤田は西原からわざと視線を逸らしていた。
「よっしゃ、来たか!」 喜色満面で大場が段ボール箱を受け取る。
 2人は早速スタジオから出ていこうとする。
 横川が足を止め、西原に告げた。
「俺ら、また出ていくから。放送はまもなく中断される。生放送だ。言いたいことがあるなら堂々とカメラの前で言え。
 しかし大恥をかくだけだぞ。そうだろう。番組中断されてしまいます、LEYNAに番組ジャックされます。そう、叫んでみたらいいじゃないか。
 こっちにとっていい宣伝だ。むしろそうしてほしいくらいだ。
 今すぐ全部あきらめて帰るなり、最後まで踏ん張るなり、勝手にしろ。出演者の日当は社長室の金庫にあるそうだから、それを渡すのだけは忘れないでくれ。こうなって、残念だ」
「私も、大変残念です。これまで半年間、ありがとうございました。
 では、とっとと出ていけ、ヒゲじじい!」
「...その言葉、覚えておくぞ。おまえはもうこの業界では仕事、できないから」

 階段を急いで降りる横川と大場。
 エントランス前で、一人の人物が彼らの行く手を阻んだ。
「あの。重要な用件なんですが」
 大場が応対する。「ああ、出演者の方。ご苦労様です。がんばっておられますね、みなさん。では、用事ならスタジオに今いる人間に言ってください」
「ADやカメラマンの人に言ってもどうにもならないと思うんで」
「何ですか? 私たち、急ぎの仕事があるんですけどね」
「司会者を替えてほしいんですよ」
「は?」
「あの大須川さんです。あの人間は番組の趣旨を理解せず、好き放題に番組を進めています。私に、司会を替えていただきたい。私ならもっと意義のある番組制作に携わることができるのです」
「はいはい、わかったわかった、じゃあ司会、替わってくれていいですから」
「音楽はケータイ音楽プレイヤーの中身をノートパソに移せば。準備は3分で済みます」
「じゃあ許可します。司会交代、そういうことで、頑張ってください」
 大場は急いで、その人物の横をすり抜けようとする。横川はもう先に出てしまった。
「ちょっと待ってくださいよ! 大須川にも直接言ってください」
「急ぎの用事だと言ってるでしょう!」
「あなたの許可を全員に示す必要があります!」
 大場は露骨に面倒くさそうな顔をし、ケータイをポケットから出した。


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