第25章

 大須川の目に、スタジオを走って出ていく西原と吉岡の姿が映った。
 西原は再び、大須川に向かって指を回転させる動作をした。
 あっちはあっちで大変だろうが、こっちはこっちで番組を続けろということか。
 とりあえず、いつ中断の憂き目にあっても悔いのないよう、大須川は気合いを入れた。


http://www.youtube.com/watch?v=WFcupu344e8
 ★ 

「これ知ってる!」 藤村。
「私は生まれてからおっさんになるまでの長い人生、アルバムを聞いて、おしっこをちびったことが3回あります」
「いやだー。きゃはは」
「まずさっき流したアクセプトのBALLS TO THE WALL。もう一つはジューダスのDEFENDERS OF THE FAITH。そしてこのアルバムです。
 いきなり歌、というアルバムなど滅多にありません。
 なんちゅうオープニングでしょう。
 1987年、ホワイトスネイクはこの時期すでにセンセイバンドのひとつであり、メタルキッズも誰一人意見を垂れたりしない、マスタークラスのバンドでした。プロレス好きにとっての猪木馬場、お笑い好きにとってのビートたけし、そういう存在でした。
 まさか、乾坤一擲のヘヴィ・メタルサウンドで爆弾を炸裂させるとは、当時誰が思ったでしょう。ネットも何もない時代。新作についての予告は、ポスターだけだった時代です。レコード屋で、または家に帰って初めて聞いて、メタルファンはこの衝撃を受けたのです。
 黒田さんだってちびったでしょう?」
「ああ。おしめ3枚」
 全員がぶっと吹き出す。
「どうでもいいじゃないか」
 大須川と名倉が座り込んで笑っている。
「何だ、元々あんたがちびったと言い出したんだろ」
「おしめがおかしかったんです。あのねえ、黒田さんを見直すツイッターもさっきからチョロチョロと出てきてますよ」 メンバー中、一人ツイッターをチェックしている名倉がからかった。
「俺は有名人でも何でもないぞ」
「悪い気分じゃないくせに」
「さて、次」


http://www.youtube.com/watch?v=vKFpr_76uJs
 ★ 

「...先日復活の、エイドリアン・ヴァンデンバーグです。聞きました、名倉さん?」
「...微妙だったな」
「ですよね。ジョン・サイクスのホワイトスネイクでの勇姿はメタルマニアすべてが認める。しかしヴァンデンバーグは、ホワイトスネイク以前にこの世界的ポピュラーメタルバンド、ヴァンデンバーグありきなんです」
「でもアホーな歌詞だね」
「アビちゃんはアホーな歌詞のバンドは好き?」
「うん、大好き! だって、音楽はアホーじゃないもんね。アホーな音楽って、ホントのアホーには作れないもんなんだよ」
「深いこと言うね。ナデナデしてあげたいくらいです」
「完璧ですね、リフが。ソロも」 さらに難しい顔をしているように見えるが、これが高井の感心している顔である。
「ヴァンデンバーグはまさにリフの天才でした」
「ボーカルもこんなけ目立ってるのに、お互い面倒な干渉をせずに、高め合ってる。ポップだけど、凄い曲だ。こんなに歌いまくるギターソロ、ありなんですね」
「天才だからありなんです。ホワイトスネイクではこういうカラーを聞かせてくれず、ソロアルバムでも高座から降りてこないお師匠みたいな音。アビちゃんいわく、アホーな音で復活してほしかったですよ」
「ヴァンデンバーグがホワイトスネイク時代に残したものと言えば、並外れて背が大きいヴァンデンバーグが他のメンバーから『チューバッカ』と呼ばれていたというエピソードだけで。僕にはその程度の印象ですね。ツアー観客動員数には影響したんだろうけど」


http://www.youtube.com/watch?v=902Unh0YWe0
 ★ 

「ふふふ。演歌ですね、これ」 真壁。
「まったく。これが走り出しますよ」

「...ハードロックと、ヘヴィー・メタルはどう違うのか、そんな会話が交わされていた時期があったんですよね。何かの本で読みました」
「真壁さんはリアルタイムでは経験してないんだなあ。
 そう、ハードロックとメタルはどう違うのか。正解は、どうも違わん。どっちでもいいやんけ。と私は掲示板で答えて、顰蹙かったことがあります」
「この音は、ハードロックとメタルの合体、いや違う、ロックとメタルの間に産まれた子供みたいな感じがします」
「演奏してる人たちは本気で、そういう路線を考えていたと思いますよ。
 お菓子みたいな大人の趣向品、または保護者がいなければ危なそうな子供の遊び道具。音楽性としては半端なものでも、作品の光沢は素晴らしい。80年代にしか存在しなかった逸品でしょうね。
 今、同じような音があっても、狙ってます感が大きいですから。
 では次」


http://www.youtube.com/watch?v=ikMiQZF-mAY
 ★ 

「これは...流行りましたよねえ」 名倉。
「誰の曲か、ずっとわからないままなんです!」 真壁が乞うような視線を大須川に向ける。
「スレイド。最初のほうに、クワイエット・ライオット流したでしょう。あの曲の大ヒットに触発されて、本家、スコットランドのお調子者ハードロックバンド、スレイドが復活してしまったんです。
 どうです。ノリノリ、という死語の中の死語が、ゾンビのように蘇りますね。1983年の曲ですが、面白いくらいに、クラシックロック感がゼロです」
 ラン、ランナウェイ、というサビを藤村が歌い出す。
「当時から知っておっさんバンドでしたが、私は好きでねえ。子泣きじじいみたいなギタリストが素晴らしかった。またyou tubeでチェックしてみてください。
 眉間にしわ寄せてる高井くんはどう、こんなのは?」
「クワイエット・ライオットの大ヒットで触発されたんですから、考えに考え、練られに練られた音なんでしょうけど、天才の一発ノリ感が突出してますね」
「アホの極みの味は実際のアホには出せない。地球人民的にアホらしい曲が大ヒットしたというところも、80年代のいいところです。
 さて、次は女性ボーカルのメタルを3曲流します。女性のお二人に是非感想をいただきたい」


https://www.youtube.com/watch?v=TJi7asY4xbM
 ★ 

「...まったく、男に勝ってますね。女丈夫といいますか」
「わははは」
「でも凄いよこの人。すっごい武装してる」
「アビちゃんのご想像通りのボーカリストです。この曲は1987年、このときはウォーロックというバンドでしたが、今は本名のドロ・ペッシ、ドロという名前で鋼鉄世界における女豪傑として今も最前線にいます。この音は1987年で、今は2014年。メタル女王30年、凄いとしか言い様がありません。
 女性ボーカルメタルの最初は、メンバー全員女性のガールスクールというバンドが1980年という、ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・メタルの時期にデビューし、そして今も活動中です。
 もはやガールではありません。ただし、惜しむらくはガールスクールの、女豪傑サウンドはメジャーメタルにはまったく飛び火しなかった。
 80年代マイナーバンドで、女性ボーカルはたくさんいましたが、商業的に成功した人はほとんどいないと思います。純メタルでは、ドイツにおけるDOROがやはり唯一の成功者ではないでしょうか。しかし。
 次の曲」


http://www.youtube.com/watch?v=7qUFZwJb9GA
 ★ 

「静かなオープニングですね。しばらく聞いてください」

「うわ〜、かっこいい!」
「という、ストレートな反応がすべてという曲です。メタル色は薄いですが、メタル以上にエモーショナルな曲をいっぱい歌っている人です。黒田さん、感想と分析お願いします」
 黒田の目が泳いでいた。まさかこの曲を知らないわけじゃあるまい。
 名倉が間をカバーするように発言する。「メタルでは大須川さんがおっしゃってるように、マイナーメタル以外ではこれという女性ボーカルは登場しなかったかもしれませんね。
 しかし80年代ロック、というもっと大きな視点から観れば、80年代は女性ボーカリストの宝庫でした。踊りや振りで誤魔化さない、本当の名人がいました。女性ボーカルという点に注目すると、80年代メタルよりもずっと大きな世界が展開します」
「まるで台本があるかのような名倉さんの名調子、続けてどうぞ」
「あの...煽られたら駄目なタイプなんです。つないでください大須川さん」
「すみません。
 80年代の女性ロックと言えば、ずっとリアルタイムの人気が続いていたあのABBA、ミートローフファミリーのボニー・タイラー、そしてパット・ベネター。そして。このバンドです」


http://www.youtube.com/watch?v=mIUnIhRpthY
 ★ 

「これ知ってる、母ちゃんがよく聞いてた! 歌の人、2人いたバンドだよねー!」
「これもエモーショナルな歌ですね。バックの演奏はライトテイストのハードロックという感じですけど、もっと重い音だったら、もっとかっこいいのに」 真壁。
「そういう音もありだったでしょう。でもこういうライトテイストのハードロックのほうが売れる、としたプロデューサー側の判断です。
 ハードロックとメタルの違い、という部分に関わってきますけど、いくらいい曲でも、ゴギゴギバキンバキンのメタルではヒットチャート上位は獲れなかった。
 チャートで成功したメタルバンドは、重いメタルサウンドではなく、ライトテイストのハードロックでミリオンセラーを獲っています。
 メタルファン中心の言い方をさせてもらえば、ライトテイストハードロックの音の軽さを補ったのが、女性ボーカルです。この曲、とりあえず最強という感じがします。
 90年代初頭ですが、大阪でコンサート、見たんです。ライブサウンドは全然メタルサウンドでしたね。

 女性ロックもまだまだ素晴らしいバンドがいましたが、このくらいで。80年代王道メタルに戻ります。次。渋いバンドですよ」


http://www.youtube.com/watch?v=Zu-CQoWcTqc
 ★ 

「...どこが渋いんですか?」 真壁の問いは当然であった。
「今も活躍中。今の黒田さんの表情みたいに、メタルマニアが非常に渋い顔をなされます。嫌だという意味の渋い顔ではなく、例えば、それぞれの文化に詳しい方々が職人談義をなされるときの渋い顔、ということです。
 このバンドが歴代一番派手な音を出していたのがこの時期のアルバムですが、こんな派手な音でも、おっさんいっぱいいっぱいのボーカルをはじめ、演奏するメンバーみんな、職人でした。
 たくさんアルバムを出しているバンドですが、こんな音は弾けた音は1枚きり。何があったのか、職人たちがケツをまくった気合い一発のメタルサウンド。私は今でも死ぬほど好きなアルバムですね。

 さて。
 みなさんに伺いたいんですが、みなさんの長い、または短くてもいいです、メタルファンとしての歴史、その中で、一番印象に残った出来事、エピソードを聞かせてください。
 まずは黒田さんから」
「俺から? んーと、そうだな。急に振られてもすっと出てこないが。そうだな。スーパーロック84。日本初の、外国人メタルバンド野外ライブ。西武球場」
「アンヴィルの映画のオープニングのシーンです。懐かしい。さすが黒田さん」
「ダテに歳、食ってないよ」
「私と同年代だけのことはあります。私は大阪南港の、地べたが砂利という酷い場所で観たんですけど、あれは真夏でしたよね」
「カチワリ、1万円分くらい買ったんじゃないかな」
「大阪南港ではそんな気の効いたものが売ってたのかどうだか。
 真夏の海のそばの会場、体操かばんに水、キャンピング用の水パックをどすんと入れて、何10リットル全部飲んで、一度もトイレに行かなかったという。
 全部汗になって出たくらい、すごい状況だったんです。簡易トイレからは煙のような悪臭、出入り口には救急車がすらり。球場、などという会場で見れた関東のファンは幸せです。
 で黒田さん、登場したバンド、覚えてますか?」
「もちろん。アンヴィル、ボン・ジョヴィ、順番は忘れたが、2つのバンドが前座で。トリは3つ、MSGとホワイトスネイクと、そしてスコーピオンズだ」
「伝説のステージですよね。リアルタイムで観るには僕はまだ子供すぎた」 名倉。
「ボン・ジョヴィがペーペーの若手ですからね。まだファーストしか出していない時期で、もちろんファーストの曲ばっかりやってたけど、同格の新人、アンヴィルと交代交代に演奏して別に、何の違和感もなかったのを覚えています。
 名倉さん、MSGのボーカル、誰だったかわかります?」
「...とわざわざ訊くくらいだから、ゲイリー・バーデンじゃないですよね?」
「はい」
「グラハムがMSGで来日公演したことはないはずだし、マッコーリーはまだ早いし...」
「レイ・ケネディー。ある意味では伝説のステージでした」
「はいはい、凄いヘタクソだったという」
「いや、それが、私もまだ高校生だったので、ヘタとかそういうことは思わず、ただただ観てましたね。神様が大阪に光臨した。感激のみで。
 2000年も過ぎてから、当時ビデオで出ていたそのステージを海賊DVDで見たんですけど、メンバー全員がパワー全開、しかし噛み合ってないというこれまたメタル的には凄いステージでね」
「スコーピオンズがすべて、締めてくれたよな」 黒田。
「まったくその通りです。80年代、日本では歴史的イベントになったSUPER ROCKの話はこのくらいにしておきまして。
 さて、次は高井くん」
「ライブ、ですか?」
「いや、ライブじゃなくても、何でもいいよ」
「カート・コバーンの自殺ですね」
「ほう」
「彼が生きていたら、2000年代のメタル、いやロック全体が今と違うものになっていた」
「どういうふうになっていたと思う?」
「...今の言葉、取り消します」
「え?」
「僕の先輩なんかはよくそういうことを言ってて、10代だった俺なんか、音楽よりも先にレジェンドに興味が出てきて。同時に、俺も先輩みたいに格好いいことを言いたいと思った。
 で、2年くらいかかって、いろいろな音楽を聞いたんです。
 わかったのは、雑誌、ネットの影響力。
 結局、俺が格好いいと思ってた先輩の言葉なんか、全部雑誌、ネットの受け売りだった。何というのか、『こう言えば賢いと思われる』、そういう言葉の羅列ですよ」
「...そういうのは80年代、いや、70年代60年代からあったんじゃないかなあ。
 身分差や格差の比較的少ないとされた日本では、音楽と密接に結びついていたのは、暮らしではなく『語り』だった。
 語りの上手な人がプロ・リスナーとして一般リスナーの尊敬を集めていたわけだけど、所詮言葉と音は別物だ、というのは80年代メタルサイトを長年作ってきた私の、正直な気持ちですね。
 でも、昔から変わらないものがあって。くさい言葉だけど、真実に今風も昔風もない。愛、愛着です。それが音楽を動かし、そしてファンもまた音楽に動かされる。
 高井くん、愛着ゆえに君自身が思う、メタル界最も印象的なエピソードといったら、何になる?」
「...オジー・オズボーンのブラック・サバス本格復帰です。最近のことで申し訳ないっす」
「いやいや。あのアルバムは近年で一番存在意義のあるアルバムでした」
「オジーは90年代からライブではちょろちょろサバスに復帰してたけど、スタジオアルバムとなると、やっぱり神でした」
「まったく同感です。高井くんの世代でも、私みたいなおっさん世代でも、ブラック・サバスはレジェンドです。
 じゃあ、アビちゃんは?」
「わたし? うーん。そうだな。うーん」
「そんな、考え込まないでも。別に80年代メタルに直接関係ないことでもいいんだよ」
「えーとね。そうだね。
 コージー・パウエルの悲劇的な事故死。80年代メタル真の終焉を告げる出来事だった」
 大須川は倒れそうになり、名倉はまた椅子から落ちた。
「なんでキミが、そんな」
「あはは。全部、母ちゃんの言葉だよ。でもね、コージーはね、母ちゃんが教えてくれた人たちの中で、いっちばんカッコ良かったんだ。母ちゃんが泣いて、私も泣いちゃったんだよ」
「君の母ちゃん、連れてきてほしかったな」
「今からでも呼ぼうか?」
「呼びなさい」
「でも埼玉の何とかってとこで今仕事してるから、すぐには来れないよー」
「打ち上げには君の母ちゃんも参加してもらう」
「打ち上げやるの? やったー!」
「では、真壁さんは?」
「...いっぱいあるんですけど、ちょっとメタルと離れちゃいますけど、いいですか?」
「もちろん」
「私も、アビちゃんと同じ話で。フレディー・マーキュリーが死んじゃったことです。従姉妹の姉ちゃんとさめざめと、泣きました。
 でも。悲しいとか、そういうんじゃなくて。だって会ったこともない人なんですから。
 クイーンの音楽、フレディーの声はそんな、今風の意味じゃなくって、本当に神だったんです。音楽で人生変わった、というのは本当にあることで、音楽ほど感情を揺さぶってくれるものは他になくて、だから毎日私は生きていけます。これからもそうです」
「でも...まだ真壁さん、子供だった頃だよね? フレディーが死んだのは91年、92年そのくらいだった」
「ませた子供でした。私はもう、子供の頃に音楽観、そういうものが出来上がっていました」
「すごいなあ」
 BGMが終わっているが、誰も気がつかない。
「クイーンの名作は本当にたくさんあって、バイトしてアルバム買って、全部揃えるのに半年くらいかかった。でもね、私がリアルタイムで聞けたクイーンのアルバムは、INNUENDOと。フレディーが死んだ後のMADE IN HEAVENの2枚だけ。
 特にMADE IN HEAVENは涙が出ました。学校、ずる休みして一日中聞いてたのを思いまします。繰り返しますけど、悲しい、じゃないんです。
 悲しいなんて、おこがましい。
 ただ、もうこの声の、新しい音が聞けないのかと思うと。神様でも死んじゃうんだ。そう思ったこと。それが一生忘れられない出来事です」
「わかります。うん。例えばね、80年代ミュージシャンも、当時からおっさんだったミュージシャンなんか、今、死んでもおかしくない年齢じゃないですか。若い頃、身体をボロボロに壊すようなことをしてきた人も多いし。
 ブログやツイッターでは、「朝まで泣きました」「悲しい」そのオンパレード。70年代、80年代ミュージシャンではそれがイベント化している。
 まあ、好きなミュージシャンが死んだことについて、短時間で感想を言えとなると、ありきたりの言葉しか出てこないもんだろうけど、私なんかこう、悲しいじゃなくて、思い入れが別の思い入れに変わるというのか、脳の中のフォルダーの上書きに1か月くらいかかったりしますね。
 わけのわからんこと言ってすんません。
 じゃあ、名倉さんは?」
 順番が回ってくる数分前から、名倉は考え込んでいた。
「そうですね、80年代、今より20年前30年前のことだから、RIP記事というのか、誰々が亡くなったという話が一番インパクトもあり、僕だって話せば1晩2晩は費やすでしょう。
 ちょっと視点を変えたことを言わせていただきますが、僕は音楽の聞き方が変わった、ということが、一番関心がありますね」
「というと?」
「僕がメタルファンになった頃、まだカセット式のウォークマンがギリ、主役と言った時期でした。当たり前の話ですけど、1本のカセットテープには1枚のアルバムしか入りません。120分テープというものもありましたが、テープがよく切れる。
 10代終わりの頃、3週間ほどかけて北海道、青春18切符で旅行したんですけど、かばんの中身はもう、全部カセットテープといった具合で」
「パンツとか下着とか、どうしたんですか?」
「夏だったから服はかさばらなかったんですけど、下着は買って、何日か履いて捨ててました」
「そうなるよなあ」
「今では、カセットテープ100本、いや、もっとたくさんの数が、小指の先に乗るチップ、SDカードに全部入ります。iポッドの一番容量の大きいやつなんか、普通の人間が一生の間に聞く音楽がすべて入りますね」
「今日、延々流してる音楽だって、マッチ箱くらいの携帯音楽プレーヤーに全部入るもんな。私のプレーヤーはアマゾンで買った中国製の安いものですが、3年以上は元気に動いてます」
「携帯音楽プレイヤー、昔で言うウォークマンの容量に加えて、ネットでの音楽配信。これはテレビでは言ってはいけない話も混じってきますが、それは言わないでおきます。
 そしてyou tubeですよね。家にいながらにしてどこの国の、どんなアルバムでも聞けるというのが。
 ただし、店で買うという楽しみがなくなってしまったのが唯一寂しいことですかね」
「私もそのへんの話をすると軽く2晩は続きます。続きは打ち上げでやりましょう」
「ねーねー、大須川さんの一番の思い出は?」
「そこにつなげようとしてたんですが、話に夢中になるあまり忘れてました。
 みんなの話が素晴らしすぎて、私の話なんて小さくて小さくて。
 音楽止まっちゃってますね。
 次の曲。この曲こそ、私個人的には一番インパクトがあったと言いますか、忘れられない出来事でした」


http://www.youtube.com/watch?v=gZ_kez7WVUU
 ★ 

「アビちゃん、この曲知ってる?」
「まかせて。これはねー」
「ちょっと待った。知らない人に訊きたい。高井くん、知ってる?」
「知りません」
「じゃあ、誰の曲かわかる? どんな印象?」
「...太いオルガン、大ベテランですね」
「全世界的存在。知らない人はいないぜ」
「...ディープ・パープル?」
「正解。私はレインボーからメタルに、80年代メタルに目覚めて、ギラン、ホワイトスネイク、そしてレインボー、3つの本命バンドが、元のディープ・パープルに戻る。当時では洋楽界のニュースはそれ一色でした。
 80年代90年代に解散したバンドの多くが再結成しているという今現在ですけど、再結成、のインパクトが一番あったのが、ディープ・パープルだったんです。私がちょうど20歳の時でした。年齢、ばれますな。わはは。
 近年メタラーになった若い人が寝てしまうような音かもしれません。この、メタル界全体を卓越したような、仙人みたいな世界。
 世界一のバンドが再結成した意義は、メタル界に存在しなかった「卓越」の音だったのかな、と思うわけでありまして。
 まあしかし、2014年、まだやってるとは、本当に、夢にも思いませんでしたけどね。再結成した1985年、未来人がやってきて、2013年にディープ・パープルが新作出したぞ、と言っても、ファン1万人中たったの1人とて信じなかったでありましょう」
「正統派だよね。そんな感じがすっごいする。おじいちゃんメタルだね」
「おじいちゃんメタル、ですか...」
 腰が砕けたまま大須川は続ける。
「引退せず、音楽活動を続ける途中に死んでしまうこと。ミュージシャンに限らず、プロと呼ばれる職業の人たち共通の幸せかもしれません。
 さて、次は番組中、1回きり、1人のミュージシャン特集です。何曲か続けて流します」


http://www.youtube.com/watch?v=3nr2TV2kItM
 ★ 

「...80年代メタル、最大の巨人。ですか」
「はい。この音、このアルバムは1983年にリリースされましたが、録音は1981年です。
 1981年、この音。
 凄いと思いませんか。このアルバムは一度お蔵入りしてしまいますが、この音で世界を獲ろう、という意識がうかがえると思います」
「ねえねえ、ずっとさっきに流した爆弾、BOMBとかいう名前の音に似てるね。こっちボーカルがハイトーンだけどさ」 藤村。
「何を言っとるのだ」 黒田。
「だからぁ、イギリスの、最初のメタルのときの音。BOMBじゃなかったっけ。オンバ、オンバ、どんどん、って素敵なイントロのやつ」
「タンクですか?」
「そうそう、ボムじゃないや、タンク」
「ほう。タンクに似てる?」 大須川はスピーカーに耳を傾けた。
「全然似てない、違うバンドだから、と言ってしまうのは簡単です。でもアビちゃんの言うことはなるほど、と思います。確かに、同じ町内から出身という雰囲気がある。同じ町内だったかどうかは知らないけど、確かに雰囲気、空気は似てるね」
「でしょ?」
「ロンドン発の新生メタルサウンドを意識していなかったはずはない、そういう音です。
 ところが。数年後天下を取ったのはこの音じゃなく、"CORRIDORS OF POWER"、70年代ハードロックと80年代メタルを統合したような一大メジャーサウンドでした。
 この人の同志。この方も今はもういませんが、2人がそろうと必ず名曲が生まれていましたよね」

http://www.youtube.com/watch?v=SeKQY7KN_Ds
 ★ 

「...ブルドッグソースみたいな顔して、よくもこんな美しい曲を作ってくれたもんです」 大須川。
「黒ずくめの魔術師みたいな雰囲気ではなく、ハンサムな天才という出で立ちでもない。普段着のブルドッグソースみたいな人だったから、ここまで綺麗な音が作れたのかもしれません」 名倉。
「そうですね。コージーにしてもカジュアルな感じのイメージしかありません」

http://www.youtube.com/watch?v=2W7amG8IuKE
 ★ 

「...あれっぽいけど、いや、やっぱりあれだ。持ってないんですよ、元盤しか」 名倉が独り言を言う。
 長いイントロに続き、本演奏が始まった。
「これは?」
「何度目かのCD化で収録された、輸入CDでのロング・バージョンです」
「明日注文しなけりゃな」
「レインボーやMSG、ホワイトスネイク、今風に言えば『神』であった大御所バンドが職人風の音、あるいはライトテイストへと次々と転身していき、そこを救ってくれたのがこの人でした。85年86年、まさに80年代のど真ん中くらいの出来事です。
 アルバム3枚くらいは、世界で一番売れてるヘヴィ・メタルだ、というカラーがありました」
「音の出で立ちが、ゴーンとでかかったですよね。ギターテクニシャン以上に、名曲メイカーでした」
「名倉さんの言う通り」

http://www.youtube.com/watch?v=1vt11202CXk
 ★ 

「そして、これがメタル時代最後の作品となった、1989年のアルバムからの音です」
「どうです、高井くん、さっきの音に比べて」
「完璧な完成度です」
「まさに。そしてゲイリー・ムーアは、以降、すぐに、ブルース・ミュージシャンになりました。
 メタルを捨てて、ブルースなんかやりやがって、とアルバム2枚も続けば文句を垂れるリスナーも出てきて、アルバム5枚も続けば、メタルにカムバック要望も大きくなってきたようです。日本では。
 でも私はこの人は見事に、80年代サウンドを締めくくっていたと思うんです。ほれ、この音で。
 私はロンドンで、1990年、ゲイリー・ムーア&ミッドナイト・ブルース・バンドのコンサートをハマースミス・オデオンで観たんです。それが、あまりにも素晴らしくてね。
 取って付けたようなブルース路線、と言ったファンは馬鹿者でして、現地で実際に観たコンサートはホーンセクション、サックスプレイヤーも入れて総勢10人くらいの演奏陣。
 そこで鳴り響く、Still Got the Bluesの長い長ーい、ギターの音色。思い出すだけで、こっちも演奏中のゲイリー・ムーアみたいな顔になります」
「でも、ブルースミュージシャンとして成功したとは言い難かったのでは?」 黒田の口調には数時間前までの嫌みなトーンはない。
「そうですね。STILL GOT THE BLUES、AFTER HOURSの2枚のアルバムはイギリスでは大成功を納めましたが、それ以降はぱっとしなかった。日本では酷評された。
 なんでブルースロックをメタル雑誌、メタル人間たちがレビューするのかという大きな疑問がありましたが。
 まあ、アルバムは大したことなくても、必ずどのアルバムにも1曲2曲、名曲が入ってました。Sunsetの世界はずっと続いたんです。ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルースとのBBMなんか、名曲の宝庫でしたよ。
 しかし、まだ生きてらっしゃったら、ひょっとしたら、1枚くらい、ハードロック返り咲き作品もあったかもしれません」
「ですよね」
「ゲイリー・ムーア特集はおしまいです。
 次。この人の死も痛かった」


https://www.youtube.com/watch?v=TfhfW1KsRuc
 ★ 

「あ、この人もフレディーと同じ!」 真壁が腰を浮かせた。「ごめんなさい。この人も、私にとっては神だったんです。終わりだなんて、信じられませんでした」
「90年代以降は、アルバム的にはクエッションマークが連発してたけど、今にして思えば、正直、あれだけつまらないアルバムを出し続けて、それでもずっとレジェンドであり続けたのがすごい。新しい名作も、必ずあり得たと思う」
「名倉さんとまったく同意見です。それに、真壁さんがおっしゃるように、永遠に続くような存在感を普通に持ってた人でしたね。
 若い時期の事故死でもなく、一般的には死んでもおかしくない年齢。でも、スーパーマンでも死ぬんだということ、そして新しい音がもう聞けない、ということは、悲しい以上に、とてつもなく寂しいという気分です」
 全員、無言のまま曲後半が過ぎた。

「さて、気分を改めまして、ミニ特集です」


https://www.youtube.com/watch?v=yY4MRxeFCCw
 ★ 

「うわぁ、出来過ぎだ」 名倉が笑う。「北欧スペシャルですか」
「正解。このバンドもつい先日、復活の大名作をリリースしましたが、音はおっさんです。
 1988年、この音の透明感。北欧以外にはあり得ませんでした」
「これ、有名な曲なんですか?」 大須川の心をとろけさせるような視線で真壁が訊く。
「有名だと思いますが、あんまり売れなかったかもしれないな。バンド名アルバムタイトル、オリジナルジャケットも大変地味で、早くから知る人ぞ知る名盤、という扱いだったかもしれません」
「でも...惚れ惚れします。歌い出しからサビみたいに印象的で、サビはどうするの、と思ったら...もう、名曲中の名曲ですね。これ、今でも買えます?」
「たぶん。もし買えなくても、いんちきメタルバイヤーの私にお任せください」
「ディズニーみたいだね」 藤村。
「ほぉー。騒がしいディズニーはおっさんは苦手ですが、こういう絵を持つ映画も確かにありますね」
「俺はハードコアからメタルの世界に入ったけど、こんな曲、問答無用ですね。これは素晴らしいです」 高井。
「だろ。北欧メタルブームは90年代中頃まで続くが、こうして80年代にもう、名作は出尽くしていたんだな」 なぜか黒田が得意げな表情をしている。
「さて次。
 北欧メタルブーム最初は、このバンドで始まりました。
 このバンドならデビュー作のあの名曲を流したいところですが、最も北欧らしい音ということで、これ」


http://www.youtube.com/watch?v=skuSBWWmqrw
 ★ 

「ファーストアルバムは荒々しい音ながら全曲名曲だし、荒々しい音じゃなくなったこのセカンドアルバムもまた捨て難い」
「一般ロックファンすらこの音にのめり込みました。この次があのファイナル・カウントダウンですから、メタル以前に80年代ロック特集でいつでも顔を出すバンドですね。
 これ、走り、勢い、汗、鋼鉄、メタルのイメージが全然ないのに、しかし。どうです、高井くん?」
「北欧カラーのごり押しでしょうか。問答無用力、変な言葉ですみません、問答無用力がそのままメタルのイメージにはまった、いや、この瞬間にメタルのイメージが新たに書き換えられた」
「その、通りだと思います。アビちゃん、これはまたディズニーとは少し違うでしょ?」
「うん。走らない曲だけど、すんごいかっこいい。かっこいいから、メタルなんだ」
「それも名言だ。
 北欧メタルは私も大好きで、このまま100曲くらい続けたいところですが。時間が足りません。
 後1曲。私が思うに、北欧メタル最強の名曲です」


http://www.youtube.com/watch?v=k9jc6GG0IgU
 ★ 

「...北欧最強の名曲と来たら、これが来ると思いました」 名倉。
「こっちのリ・レコーディングバージョンの方が素晴らしかったと私は思いました。おととしくらいだったか、復活アルバムも名作でしたよね」
「ほんと」
 宝石のようなサビが流れると同時に2人は黙る。

「...どうしてこんなきれいなメロディーが作れるのか。これも買えなかったら、いんちきバイヤーの大須川さんにお願いします」 男がうっとりとした表情でメタルを聞けば馬鹿以外の何物でもないが、こういうきれいな曲は、まさに真壁のぞ美のような女性のためにある。大須川はそう確信した。
「任せてください。
 そして北欧というのは、こういう美旋律メタルとは正反対、90年代後半から2000年代にかけては、世にも恐ろしい非人間メタル、ブラックメタルの産地として、世界に名を轟かせることになります。
 ただし、今現在でも北欧発の美旋律メタルは廃れてはいません」


 ここで大須川は、水を飲むついでにスタジオ奥、西原がいるであろう場所を眺めた。
 村田カメラマンは意気揚々と言った様子で、時にはカメラの位置を動かしながら、俺にも発言させてくれというオーラを出している。
 放送はまだ、止まっていない。
 どうなっているのか。


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