第38章

BGM
http://www.youtube.com/watch?v=DBm1MNb5xrA


 NTV、エントランス前に集合したお助け一般人の後方で、妙な動きをするバンに気が付いたのは、真壁のぞ美だけだった。
 ひょっとしたら、LEYNAが直接乗り込んでくるらしい。
 あの車にはLEYNAが乗っているのではないか。
 もしそうだったら。
 話ができるのは、私だけ。
 真壁はエントランスへ急いだ。

 車は、いた。
 今にも誰かが降りてきそうな気がするし、そうではない気もする。
 しかし私が止めなければ。

「誰か来ましたよ」
「NTVの社員かしら。それ風の制服着てるわね。あれがスパイってわけか。じゃあそろそろ、行くよ」
「あのう...ドア、開けていただけませんか」 真壁は丁寧に、上品に言葉を出した。
 LEYNAが車体真横のスライドドアを開けた。
「やっぱり。LEYNAさん。あの時は本当にありがとうございました。幼い姪ともども、いまだに感謝しております」 真壁は深く頭を下げる。
「あんたが横川、大場の放った工作員よね?」
「はい? 何のことですか。それよりも、最初にお礼と感謝を述べさせてください」
「あれ? あんた、見覚えあるね」
「はい! 覚えててくださってたんですか!」

 去年の5月。
 運転手の山岸が、数グループが持つチケットが偽造だと決め付け、最前列を確保していたグループを追い出した。結局偽造でないことがわかり、そして半殺しの目に遭った長野での野外コンサート。
 そこに、真壁のぞ美と姉の子供、麻衣5歳の2人が観客として参加していた。

 その麻衣がいきなり、迷子になった。
 入場の際に殺到する人の波に、麻衣が呑まれていってしまった。

 人の波が過ぎた後、そこに麻衣の姿はなかった。
 親切な人間が迷子案内所に連れて行ってくれたのかと思い、真壁は走った。

 しかし、迷子案内所などどこにもなかった。
 スタッフが集まる場所へ行き、青い顔で真壁は一部始終を話した。
 スタッフが探してくれることになった。
 広いスタッフスペースに、真壁はしばらく放って置かれた。
 椅子こそ用意してくれたが、スタッフが百人近くバタバタと動き回る中、大変居心地が悪かった。それ以前に、姪のことが心配だった。
 救護体制だけは万全のようで、開演まで2時間近くある今、何を怪我することがあるのか、3人ほどが怪我の手当てを受けていた。救急車は10台ほど待機しており、看護師とおぼしき人間も20人はいるようだ。

 麻衣は音楽、特にLEYNAの音楽が大好きであるが、音楽を聞いているとき以外は、あまり活発な子ではない。よく迷子になる子だと姉に聞いていたが、100%、その近辺で発見されたそうだ。
 つまり、保護者と離れてもウロウロする子供ではない。
 子供が怪我したという知らせもないようで、ただ、誰かが親切心の延長で連れ回しているのではないかと、それが気になった。
 前座の開演時間が迫っているが、会場の空気はのんびりしたものである。

 スタッフが全員、出て行った。
 広いテント張りのスタッフスペースに、真壁一人が残された。

 10分ほど経った後、スタッフの若い女性に連れられて、ご機嫌な様子の麻衣がこっちに向かって歩いてきた。
 真壁はスタッフに頭を下げた。
「ありがとうございました! よく迷子になる子で、本当にお手間かけました。気をつけます」
 女性スタッフの返事はない。
 テント下なのにサングラスを外さない。それに、季節にふさわしくない、薄手のコート姿である。
 じっと見つめる真壁の視線に応えるようにして、スタッフはサングラスを取った。
 LEYNA本人だった。
「あたしが話しかけられたのよねー」
 麻衣はLEYNAとつないだ手を外さず、ずっと笑顔全開である。
「え、あ、その...」
「この子可愛いね。あなたお母さん?」
「いいえ、姉の子なんです」
「まいちゃん、どんな字書くの?」
「アサの麻に、コロモって書くんです」
「今、あたしヒマなのよねー。ボイトレできるところ、ないしさあ。麻衣ちゃん、おねえちゃんと遊ぼうか?」
「うん!」
 今日、3万人を集めるそうな、日本音楽界を代表する女性ボーカリスト。
 実は真壁もファンだった。
 あまりの出来事に、目が点のままである。
 そんな真壁には構わず、2人は何かの道具だろうか、ゴムボールのようなものを転がして遊んでいる。
「麻衣ちゃん、なんか食べる? カレーは美味しくなさそうだな。あたしは何も食べられないけど、麻衣ちゃんのためになんか、注文してあげるよ」
「スパゲッティー!」
 後ろで立っているだけの真壁は焦った。何を言い出すのか、この子は。
「スパゲッティーかぁー。あったかなー。でもいいよ、作らせるから」
 LEYNAはポケットからケータイを取り出した。そして二言三言、つぶやく。
 ボール遊びが続いた。
 5分ほどして、今度は本物の女性スタッフが紙皿に乗せたスパゲッティーを持ってやってきた。
 当然、そのスタッフは緊張のあまり、ロボットになっている。
 LEYNAはスパゲッティーを少し手で摘み、口へ運んだ。
 そして指をスタッフに差し出した。指パッチンをしているまま時間が止まったかのような、間抜けな姿勢である。
「何ぼさっと突っ立ってんの。拭きなさいよ」
「は、はい」
「あのさー。あたしが食べるんじゃないの、この子が食べるの。辛すぎるんじゃない?」
「すみません!」
「ケチャップでマイルドな味にしてきな」
「わかりました!」

 LEYNAは女王様だった。あまりにわかり易過ぎる女王様だった。
 しかし麻衣には優しい。幼い子と遊ぶ機会がないのか、楽しそうだった。
 再びスパゲッティーが来た。パフェまでくっついていた。
「あんた、開演前はあたし何も口にできないの、知ってるよね」
 LEYNAはまたスタッフに絡み始めた。
 その横で、麻衣はプラスチックのフォークでスパゲッティーを食べ、真壁にピースサイン。
 恐れ知らずというか、本当にアホな子だ。
 そしてパフェも平らげ、間もなく眠い、と言い出した。
 真壁は冷や冷やした。
 しかしLEYNAは麻衣にはあくまでも優しく、今度はスタッフに「子供が寝る道具」を要求し、持って来させた。
 よたよたと四つんばいで歩き、麻衣は本当に寝てしまった。


「...あたしね」
「はい」
「言っちゃだめだよ。全部謎なんだから、あたしは」
「はい、絶対に口外いたしません」
「男兄弟ばっかりでね。全部で5人。その真ん中の紅一点なの。ママは八王子でフッツーに暮らしてるんだけどさ、あたし、ママと二人っきりで遊んでもらった思い出、ないのよ」
 そうなんですか、と返事するのも憚られた。
「そろそろ、戻るか。アメリカのお医者さんが来てるの。LEYNAがステージに立つ前の魔法のドリンク、蜂蜜とハーブで作るんだけどね、お医者さん特製なんだ。これがヴォイスマジックの秘密。あはは」
「......」
「言っちゃ、ダメだからね」
「はい、絶対に口外いたしません」
「麻衣ちゃん寝ちゃったけど、3人で写真撮ろ」
 LEYNAは再びスタッフを呼びつける。
 木製の床にごろんと寝転がり、寝顔の麻衣を中心に、三人が並んだ写真を撮ってもらった。
 真壁のスマートフォンでも1枚撮ってもらったが、LEYNAは住所を教えろと言った。
 そして片手を振りながら、再び変装姿で、広いテントから出て行った。

 麻衣の家には後日、大きく引き伸ばされた写真、言葉が入ったサイン色紙、そしてCDボックスセットが送られてきた。
 麻衣の両親が本当に腰を抜かした。

 真壁自身、メタルが一番好きと豪語しながら、実は何年も前からLEYNAのファンである。
 そして体験した夢のような出来事。

 今日、今現在、LEYNAが自分たちにとって悪の首領のような存在となっている。
 確かにLEYNAは女王様だろう。

「15歳の麻衣ちゃんへ 楽しくない人生を、楽しくするのが音楽。麻衣ちゃんの横にいつも音楽がありますように」

 それが、色紙にあった言葉である。
 悪い人間ではないと信じたい。
 自分はLEYNAを憎めない。
 どうしよう。

 説得するしかないのだ。


「麻衣ちゃん、元気?」
「はい、元気です」
「送ったCD、聞いてくれてるかな?」
「もちろん。毎日聞いて、踊ってます」 それは本当のことである。
「ありがと。でもあんなちっちゃいファンもいるんだから、あんまり大人びた歌詞もなんだかな、と思う今日この頃。さて、行こう」 LEYNAは車から降りようとした。
「ちょっと待ってくださいLEYNAさん」
「どうしたのよ」


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