第37章


 2階、女子トイレの扉に挟んであった大きなメモ。
「LEYNAがこちらへ来ます。スパイより愛を込めて」

 西原には、いたずらとは思えなかった。
 まだ別に、スパイがいたのだ。
 しかしなぜ? これは騙し? かく乱作戦か?
 もう1時間半ほどで番組は終了する。LEYNAが来ても、できることなど限られているだろう。
 わからない。

 エントランスからの大須川からの連絡。
 番組内容ページを見た視聴者たちが集合している。
 父が帰ってきた。
 こちらも戦力を増強しているのだ。
 よし。
 これならLEYNAとクラウドが来ても、闘える。

 その旨、大須川に伝えた。
 どれほどの有名人であっても、俺は知らない。LEYNAが来ても、必ず妨害してみせる。任せろ、とのことだった。
 西原は気合いを入れた。


 大須川が定位置に戻る。
 最後の、第4部である。

 カメラが観客を映した。その数、およそ100人。
 6割がおっさんで、2割が女性。そして2割は若い連中だった。広いスタジオは一気に狭くなった。
 おっさんたちの半分は、何を考えているのか、カメラを向けられ、汗一筋垂らし平静を装っている。しかし女性たちと若い連中の歓声が大須川には嬉しい。

「さて、第4部、開始します。
 『事情』を察して、観客の皆様が集まってくださいました。ありがとうございます。
 あれこれとごちゃごちゃございまして、その、私が用意した音源と、尺が合わなくなってしまったといいますか、最後まで流せるかどうか、わからなくなってきました。
 フェイドアウトを活用し、出来得る限り、格好の悪くない放送を心がけますので、よろしくお願いします。
 ギャラリーには三上洋子さんが戻られました。
 そして、ケガは2針で済んだという息子さんの翔太くん、中学二年生のメタル少年が新しく参加します!」
 ラッキョ頭の中学二年生はガッチガッチに緊張している。
「では、早速曲、行きますよ。
 王道メタルはちょっと、後回し。
 90年代、そして今に続くメイドイン・80年代のサウンドとして今も黒々とその存在感を放ち続ける、スラッシュメタルを続けて聞いていきます」
 観客からおっさん発の、野太い歓声が上がった。


http://www.youtube.com/watch?v=KrIKENNjIvk
 ★ 

「ライブなどのレパートリーではない曲ですけど、記念すべきファーストアルバムのオープニング。1981年。
 当時はアホでアホでどうしようもないバンドとして扱われ、セカンドアルバムの超有名作品BLACK METALが出た時期、芳しい言葉で彩られたレコード会社の広告があるのに、雑誌は一斉に無視したという」
「演奏力のなさゆえか、マイナーで終わってしまったというのが80年代の解釈だったような気がします。当時は...」 名倉さ〜ん、というおばさんメタルグループからの声援。名倉は一度つっかえた。
「...当時は、80年代はさほど注目されていませんでした。90年代になってから、レジェンドとして人気が、ある時期うなぎ上りでした。調子に乗って出した新作が駄作だったりしてずっこけましたが、しかし最初のアルバム2枚はまさに伝説ですね」
「それこそ雑誌に無視されたような代物だったから、結局レジェンドになったんだな」 黒田さーん、という声援はない。「80年代メタルバンド初の、理屈理論抜きのバンドだった。ライバルたちが腕を磨き、ついにはメジャーデビューし、人気を上げていくにつれて、彼らは取り残されていった。
 マイナーメタルは、最初は駄菓子だったんだ。ツアーを続け、練習を続け、次第に高級洋菓子の具材を身につけていったバンドがメジャーになった。このバンドは80年代、ずっと駄菓子のままだった。だからすぐに忘れ去られた。
 駄菓子の良さが見直された90年代になって、評価されるようになったんだな。駄菓子は駄菓子、しかし世界は唯一。バンドは小難しい批評を蹴り飛ばし、そしてファンも批評を必要としない。あるのは、好きだというファンの熱意だけだ」
 厚い拍手がパンパンと鳴り、まばらな拍手が数10人の拍手となった。
「ありがとうございます黒田さん。アホな音なのは誰に言われないでもわかる。でも私は好きですね。真面目に。
 1990年、魔王クロノスが抜けザ・デモリションマンなる香ばしいメンバーが後に入った、LIVE AT MARQUEEという日本版の出ていないライブビデオに、若き頃の私がステージダイブしている姿がばっちり映っております。興味のある方はぜひ、数年かけてYABOOオークションで探してください。
 では次。本日、一番マイナーなバンドです」


https://www.youtube.com/watch?v=C0tttmexH6A
 ★ 

 おおーっ、と叫んだひとりの観客の声が妙に甲高く、スタジオ全体が笑いに包まれた。
「ありがとうございます。知る人こそ少ないですが。
 この人も亡くなられましたね。日本の雑誌などでは馬鹿にされ続け、または蛇蝎のように嫌われながらも、84年のデビューアルバムから2003年の12作目に至るまで、特に北欧では絶大な人気を誇りました。
 さて高井くん、クイズです、この音を、何とかメタルと呼ぶとすればどうなりますか。何とかの部分を4文字で答えてください」
「...オールドスクール風のスラッシュメタルというより...やっぱり、ブラック・メタル、ですか」
「大正解。さっきのヴェノムはブラック・メタルという名作を出していますが、ヴェノムがジャンルとしてのブラックメタルに与えた影響は大きいにしても、音はスラッシュメタルの原型でした。
 そして1985年のこの音。もちろんヴェノムの影響はあったでしょう。しかし音です、音として、ブラック・メタルの原点であることは間違いないと、私は確信します。1985年。もう、ブラック・メタルが産声を上げていたんですね。
 では。次。仰々しいですよ」


https://www.youtube.com/watch?v=oxtZc-pRC1Q&list=PL503FADB6E52EEA03
 ★ 

「...VENOMの超スケールアップ版、というカラーもありますね」 名倉。
「なるほど、そうですね。しかしこのバンドはどういう縁からか、これも先日お亡くなりになられたあのH.R.ギーガー、映画エイリアンの設計者として有名なアーティストですが、その絵画を全面的にジャケットに使用した。だから世界中から注目を浴びました。
 壮大なのか、無茶苦茶なのか、ようわからん音楽性です。勘弁してくれ、と思います。ははは。
 しかし一番勘弁してくれと思ったのは、80年代後半にこのバンドは、本当の話ですが、アメリカへ飛び、LAメタルになってしまうんです」
 三上がうなずいている。
「三上さん、覚えておられます?」
「はい、買っちゃいましたよ。耳が食中毒起こしそうな音でした」
「わはは。まったく。
 バンドは解散、再結成を繰り返し、今現在、中心人物の鬼顔はトリプティコンというバンドで、この時代と変わらない暗黒混沌世界を彷徨っておられますから、興味のある方はどうぞ。
 さて、次。当時のマイナーメタル好きがみんな、大好きでした」


http://www.youtube.com/watch?v=D8TF4Cj781I
 ★ 

「...この変わったギターリフ、スラッシュメタルにしては重量感のない、しかし印象的極まるこの音。こんな音出してたのは、このバンドだけでした」
「ディストラクション、という名前がシンプルながら、大ヒットだったと思います。この時期はディストラクションされてしまった音であり、後々、つまり近年の音はディストラクションする音だと」
「名倉さん、うまいこと言いますね。
 私らマイナーメタルマニアは、一般のメタルファンがわからない用語をネット上でも各種遣うことがあり、言うなればこの時期のディストラクションはジャンクメタルの名作ですかね。
 ジャンクメタルといっても、あくまで雰囲気を指す言葉ですよ。ランク的にもう少し下がると鉄くずメタル、くそメタル、いろいろあります」
「いいですか?」 三上の息子、翔太が手を上げた。
「ラッキョウくん。緊張ほぐれてきたね。どうぞどうぞ」
「くされメタル、ってどういう意味ですか?」
 大須川はこけた。
「私のサイト、御覧になってたりするの、翔太くんは?」
「はい、母さんのお気に入りです、僕もたまに見させてもらって、笑ってました。あ、違いますよ、面白いことがよく書いてあるから、笑ってたんです」
「ありがとう。
 くされメタルというのはですね、もちろん私が造った言葉じゃありません。おそらく私と同じ年代の、どこかのサイトを作ってらっしゃるベテランリスナーの方たちが創造した言葉です。
 5曲連続して流せば輪郭は誰にでも理解してもらえると思うんですが、そういうわけにも行かない、まあ、ダサくて、かっこよくなくて、女人禁制、ヘタクソ、救いがない音であり、ただ一点、これは通用するもしないも関係なく、ただオリジナルのメタル的勢いがあるという、そういう音を言います。
 私はくされメタルをコレクションをしてますが、言い換えればそれはメタルが好きを通り超えた、マニアだけが持つ、駄菓子収集的根性と言いますか、言っててもわけがわからないな」
「さっきの、ヴェノムなんかそうですか?」
「君は若いのにいい勘をしています。お母さん、くれぐれもよろしく教育なさってください。コールド・レイクが好きだなんて言う青年に、決してならないように」
 おほほほほほ、というボリュームの高い三上の笑い声が響き渡った。
「さて。次。このバンドも80年代90年代マイナースラッシュに与えた影響は大きい」


http://www.youtube.com/watch?v=0yR6mQGKA00
 ★ 

「...セカンドアルバムで化けましたが、僕はもう1枚くらいこのファーストの音が続いてほしかったという気がしますね。そうなったらなったで、消えてしまったかもしれないけど」 名倉。
「私もこの、尻に火が付いたようなユーモラスなボーカルが非常に好きでした。今でもこのボーカリストなんですけど、聞いて笑えるのはこのファーストだけですね」
「先生」
 観客が笑う。
「翔太くん、先生と呼んでくれますか」
「あの、これもくされメタルですか? そのカラーがありますか?」
「そうですね」 大須川は人差し指をこめかみに当てた。「くされ率67%の、まあまあのくされメタルと言えますね。ちゅうか、きみ、本当にくされメタルが気になってるんだ?」
「はい、以前から」
「お母さん、翔太くんはその、お父さんが晩酌のときに食べる、おつまみとか、食べたりします?」
「なんでわかるんです? そうです、この子変わってて、ポッキーとかエンゼルパイとか甘いもの、昔から全然食べなくって、小さいときから、あたりめとか酢こんぶとか、そんなのばかり食べてます。変な子なんです」
「わかりますとも。ええ。わかります」
「酒飲みにならないか、今から心配です」
「ポッキーとか、普通のおやつ食べてほしいですよね」
「はい」
「じゃあ翔太くん、これはどうだ?」


http://www.youtube.com/watch?v=9UGTW6eX8ug
 ★ 

「これ聞いたことあります、母さんがよく聞いてる」
「やだ、もう」
「スレイヤーは最初から栄養度の高い、最初はマイナーメタルでありながら、言ってみればくされ度の少ない音を出しています。このファーストアルバムはマトモに衝撃的でしたね、黒田さん」
「ああ。スラッシュメタルの語源、鞭打つ、というイメージを最初に生んだ音だと思う。歌詞は血だ、呪いだ、言いながら、音は大変スマートな印象だった」
「その通り。マイナー時代から名作、メジャーになってまた名作、アンダーグラウンド発のメタルの凄みをいまだに放ち続ける歴史的なメタルバンドだと思います。
 すみませんね、女性陣に発言の機会が少なくて。
 では次、この曲知ってます?」


http://www.youtube.com/watch?v=ug_JdOQDxwY
 ★ 

 大須川は、感想をもらおうと思って真壁を眺めた。
 なんと。
 真壁は立ち上がり、小さく礼をして、そのまますたすたと歩き、スタジオを出て行ってしまった。
 何か、思いつめたような表情をしていた。
 

 なぜか真壁が、もう戻って来ないような気がした。
 番組中断騒ぎと何か、関係が?
 大須川はあわよくば、調子に乗って、打ち上げの最中に、まさに80年代風にアタックなどを試みようかと思っていただけに、大変気になった。
 曲がしばらく鳴っている。
「...アビちゃん、これ、誰の曲かわかる?」
「うん。わかんないよ。全然」
 観客に笑いが起きたのと大須川がこけたのが同時である。
「ジャーマンスラッシュメタル、90年代には帝国を築きました。最初のバンドがこの、ハロウィンです」
「えー、ウソー、ハロウィン?」
「ボーカルは現在ガンマ・レイのカイ・ハンセンですが。こんな音だったんです」
「すっごいね。歌、へたっぴだけど、ギターの音が何十重ねって感じ」
「女性メタラー代表として伺いますが、三上さん、スラッシュメタルは女性の間ではどういう捉え方をされていました?」
「うーん、そうですね、女子の間では...」 息子の翔太が母の小腹を突ついた。「母ちゃん、女子、やめろ。かっこ悪い」
「はいはい、ごめん」 観客スペースから大きな笑い。
「そうですね、コアな趣味の子は聞いてましたよ。なんか、隠れるみたいにして。ふふふ。でも、ルックスのいいバンドならあたしたちはジャンル関係なく、何でも聞いてました。でも...スラッシュでかっこいい人たちって、いたかな?」
「僕ら男にはヒーローみたいな人たちばっかりだったけど、80年代へアメタル、LAメタル風の人たちは全然いなかったような気がします」 
 また、名倉に声援が飛んだ。何歳になっても見掛けのいい男は得である。大須川などは損ばかりであり、得などただの一度もしたことがない。おそらく、黒田だってそうである。
「次、スラッシュメタルにとてつもないパワーを与えたバンドです」


https://www.youtube.com/watch?v=tTdGnKB8j7U
 ★ 

「...黒田さん、この、雑誌などでは見過ごされたファーストと、大絶賛を受けたセカンド、どっちがお好きですか?」
「そりゃあ、もちろんファーストだ」
「ですよね。棍棒軍団襲来、爆走喧嘩上等のスラッシュメタル。スレイヤーとはまたカラーの違う、バイオレンスサウンドです。一番、直球の音だと思います」
「近年のアルバムで一番出来が良かったのは、このファーストアルバムの焼き直しアルバムだったというのが皮肉ですね。いや、ごめんなさい、あくまで僕の感想ですから」 名倉は観客席の方向を見て謝る仕草を見せた。
「そうですね。エクソダスは冴えに冴えた音をずっと出してるとは思うんですけど、私が勝手に言ってる棍棒メタル加減が中途半端だし、疾走感もありきたり、マンネリを何年も脱していない気がします。
 安っぽくなっても全然構わないから、ぜひファーストや、サードの世界に戻ってほしいものです。
 そして、エクソダスのライバル的な印象があったのがこれ」


http://www.youtube.com/watch?v=HVKZoBX8L6g
 ★ 

「...このバンドは、近年も名作に近いものをずっと出し続けていると思います。ファーストアルバムからメジャーレーベル配給という、それは運の良さだったのか、時代がスラッシュメタルだったのか。
 メジャーメタルとはこんな音、という当時の常識を打ち破ったアルバムとして、メタルの歴史に残る名作ですね」
「このバンドの、ミドルテンポ中心のアルバムはつまらないと思うんです。疾走があってこそのこのバンドかと。99年のTHE GATHERINGは今聞いても背筋に戦慄が走ります。すみません、ベタな言葉で」
 観客スペースから拍手。名倉ばかりが拍手を受けているような気がするが、それだけはもう、仕方がない。大須川はそう思う。日頃受けない、というか、言う場所がない、メタル絡みのギャグが結構観客に受けているので、それだけで大満足と思わねばならない。
「はい、ラッキョウくん」
「番組最初のほうで、大須川さんがおっしゃってました。ボーカルも楽器となりえると。まさにそんな音だと思います」
 かわいらしい奴である。母親とはあまり話が合わなさそうな気がするが、この中学二年生は大したものだ。
「では次。
 1990年、観光ビザで入り込み、禁止されているアルバイトをしながら私がロンドンで惰眠をむさぼっていた頃、地下鉄の広告に貼ってあったという、それくらい勢いのあったバンドでした」


http://www.youtube.com/watch?v=rLvnqKOtJaw
 ★ 

 名倉が驚く。「これ、89年ですか!」
「ぎりぎり」
「...となると、80年代のスラッシュも大したもんですね」
「前しか、見えていません。トラックが来ても戦車が来ても、お構いなしという感じです」
「へえ、こんな音出してたんだ」 高井。
「全然違うでしょう。個人的な思い出で恐縮ですが、あれはなんと呼ぶのか、コンサート前になる音楽。変な音楽鳴らしてるバンドもいますけど、メタルのコンサートなんだから、大体はメタルです。
 あれは1990年、当時も多大な人気があったサクソンのハマースミスオデオンです。開演までまだ少し時間があった。
 この曲が鳴った。みんな、なんか食ってる奴までヘッドバンギング大会なんですから。このバンド、このアルバムの人気は凄いものがあったんです。日本ではこの時点ではまだ全然、評価されてませんでしたけどね」
「肉食の音ですねぇ...」
「食卓全部肉、飲み物は血、みたいな音ですね。
 では、女性陣には申し訳ないスラッシュ特集も次でおしまい」


http://www.youtube.com/watch?v=ac12BFitoX8
 ★ 

 高井の顔色が変わっている。「こりゃ、スゲーわ」
「時期的にはこれも、89年の暮れにリリースという、ぎりぎり80年代メタルです。でもファーストアルバムじゃなくて、3作目でした。85,6年のデビュー時からこんな音出してました」
「ブルタル・トゥルースがレジェンドだと思ってて、このバンドは海賊盤みたいなベストしか持ってません。でもちゃんと聞いたことがなかった。いやー、まじ、スゲー」
「ブルタル・トゥルースはスラッシュというよりも、混沌、カオスメタル、要するに80年代メタラーにはぐっちゃぐっちゃのエキストリームメタルであり、あれを語れと言われると私は苦手でありますが、このバンドのハードコアサウンドは私は死ぬほど好きですね」
「でもコワ〜イ」
 笑い声。
「アビちゃんの反応は普通でありましょう。でもこわーい音もまた、80年代にはいっぱい、あったんだよ。極端な話、恐怖サウンドから、天上の神様サウンドまで、その源流はすべて80年代にあったと言っても過言ではありません」


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